私はどうして「応援してます」をそのまま受け取っちゃうんだろうな
そんなの口先だけって分かりきってるじゃんね
応援してますとかあなたの作品が好きですとかって数秒も考えりゃ言えることだし、感情だってこもってないだろうに
経験則から言うと、そうやって言ってくれる人ほど離れていくのが早いんだよ
何度も何度もそれと一緒に「これの続き書いてください」って言われてさあ、応えて書いたら読みもしないの
言われたから嬉しくて書いたのにブクマもコメントもない
何も私の小説ぜんぶブクマしろだの熱心にコメントしろとは言ってないよ、ただあんたが望んだものを用意したんだからせめて少しは喜んでくれって話
続きをって言われたから私は舞い上がって大喜びで書いたのに用意してみたら「やっぱりいらない」って、そんなのひどいよ
傲慢かもしれないけどそう思ってしまう
何回もそういうのがあったから何言われたって信じられないし「どうせまたすぐどっか行くんでしょう」って思うし、続きがほしいって言われたって絶対に書かない
こういうこと言うと創作者の傲慢だの筆折れだのよく言われるけど、なんで言っちゃダメなの
書きたくないなら書かなきゃいいったって望まれたんだから応えたいじゃん
期待に応えたはずが相手がどっか行っちゃったって愚痴るのもいけないの? 書く人間は徹頭徹尾自分のためだけに書かなくちゃいけなくて、誰かのためにって思うのは絶対悪なわけ?
ブクマ数で追い越されて落ち込んでたら一人ひとりを見て大事にしろって言われるのも同じようなことじゃないの
ひとりひとりを大事にしたって離れていくときは離れていくでしょ、そしたら余計に傷が深くなるじゃん
なんでアニメや漫画で人が死ぬときに回想があると思う? 人柄を知ることで読者により大きなダメージが入るからだよ
私はそんな大きな傷を負いたくないの
だから数として扱わせてほしいのに、それも良くないの?
いちど感想を言われたら私は相手をしっかり認識して、その人が私を置いていくまで余さず見届けなくちゃならないんですか?
それがむごいこと言ってるってわかりますか
どれだけ矮小で吹けば塵も残らないようなものであれ、誰かの中の私の居場所が違う物書きに取られるのはもう見たくない
私の作品を好きだった人がその熱量をそっくりそのまま誰かに向けて私に見向きもしなくなるっていうのを繰り返してきたから、もうこれ以上同じ思いはしたくないから数で括らせてほしいんだよ
「応援してます」も「あなたの小説でこれにハマりました」も数に付随するものとして扱わせてほしい
私にもっと文才があれば、せめて私がもっと努力できる人間であれば、もしくは私の人格が成熟していたらこんなふうには思わなかったんだろうけど
あいにくとまともな大人になれないまま下手の横好きで書いてるものだからいつもいつもバカみたいに落ち込んじゃうんだよなあ