ここに辿り着いたのは、一緒に死んでくれる人で検索したから…。
冷静に考えても、予定より生き過ぎてしまった後悔が思考の大部分を占める。
もう何をする気力も起こらないので、最低限のプランだけを抱えてその日を迎えたのに…。
覚えているのは、妙に身体が軽くなって調子が良かったことと、ウチに勝手に入ってくる
野良猫がやたらに甘えてきたこと位。
心はとっくに死んでいるのに、この世に存在している肉体が心底憎らしい…。
忘れた頃に連絡をくれて様子を伺ってくる友人も鬱陶しい。
「また元気になったら」
悪気がないのは分かっているけど、面倒なことに巻き込まれたくない本心が透けて見える。
大丈夫ーーー迷惑を掛ける気なんか毛頭ないよ。
「何かあったら相談して」
誰かが口にする優しい言葉は、いまの私には最も意味がなく残酷ですらある言葉だ。
いちいち訴え掛けなければ想像力さえ駆使しようと思わない、まるで言い訳探しの様な関係性は
うんざりだ。
周囲との疲弊感しか残らないやり取りよりは、こんな我儘な手紙に目を通してくれる小瓶主さん
達の方が、今や殆ど感情がない私でも本当に有難いと感じています。
あとはただ、次のタイミングを待つだけ…。