ずっとメンヘラの母親の顔色ばかり伺って生きてきた。自己肯定感など育まれるわけもなく、物心ついた時(4-5歳)にはもう、叱られた時自分が嫌いで嫌いでしょうがなくてママを怒らせる自分に罰を与える意味で腕を噛み跡がつくまで噛んでいた。
母親の自殺未遂や暴走を私だけが何度となく見てきて傷ついてきた。
母は好きなだけ家の中じゃ汚い愚痴を吐きまくってそれを聞くのはいつも私。いい歳こいた今でも気づくと母親の機嫌を取るような行動ばかり選んでしまう。実際母親が癇癪を回して一番傷つくのは私だからだ。
正直母が羨ましい。例え家事がどんなに忙しくても家の中では好きなだけ口汚く罵り、ヒステリーを起こしても誰にも咎められないのだから。そうすれば私含め周りがチヤホヤしてくれるのだから。
私が本当に傷つき死にたくなった時でも、母は自分の過去を勝手に思い出し逆に私に当たる始末、私の苦しみは価値がない。私にそも価値がないから当然か。
母の口癖は「モノばっかり増やしても無駄になるよ」である。
では貴方に聞きたい。何故私を産んだ? 一番無駄なものは子供であると貴方から学んだ。本当に子供を産む意味が分かれない!社会における労働力か、好きな時に愛でて気分が悪い時は虐めるだけにある、愛玩動物か、この二つ以外本当に自信を持って言えない。むなしい。
その癖母は孫の顔が見たいという。歳を食った愛玩動物にはもう飽きたという事だろう。犬猫の寿命も精々十数年、こんなものなのだろう。絶対に母のために命なぞ産み出してやるものか。私は何にもない人間だが、母と違って不幸になるべくして産まれたような子供を産み出す程愚かにはなりたくない。
母が早々に居なくなったとしても、卑屈で都合の良い私は変わらない。きっとどんな事にも人一倍傷つき、良いように利用され、もしくは愚図と蔑まれ、誰からも愛されず延々と苦しみ続けていくのだろう。
私にも生きがいにしようとした少々の趣味はある。しかしどれも所詮、母の言葉で言えば「なんにも残らない無駄なもの」である。じゃあ母の考える残るものは?きっと結婚、伴侶、子供、金になる仕事、金自体であろう。どれもくそ食らえだ。こんな苦しい人生を延命させるものなんてどれも要らない。
死にたい、とは言い換えれば別のもっと良い環境に逃げたい、という事と聞いた。本当だろうか。
一世を風靡した異世界転生も、その走りなのだとも聞いた。来世、あるいは天国、地獄という言葉もある。
私から言わせれば、死にたいから死にたいのだ。
違う、私が私である限り、現世に存在するどこに逃げても、絶対に救いなどあり得ないからだ。異世界転生来世天国地獄も人間の想像のお話だ。生きる人間を慰める為の作り話だ。私の意思がこの脳細胞の中で起こる一連の反応に過ぎない限り、異世界転生はともかく、死後の来世や天国地獄なんて考えたってしょうがない。
生まれ変わりたくなんてない。そもそも、前世の記憶を失って生まれ変わるとは?私は前世、畜生にも劣る大悪人だからこんな惨めな精神に生まれついたのか?それとも、前世の行いが良かったから、まだこの程度ですよってか?まあ、スマホをいじれる程度には恵まれてますね。そのスマホでこんなしょうもない文章書いてますけれども。
嫌だ。本当に嫌だ。覚えもない前世の因果とやらは現世の人間を尊重するどころか踏み躙るアイデアだと思える。人の苦しみが前世の咎や徳で理由づけられたり矮小化されたりしてはたまらない。
今日の私の1日は誰かが生きたかった1日?その誰かは”誰か”であるから生きたかったのだろう。
“私”であったらそんなことつゆ程も考えない筈だ。現状、私の身体には私の意思しかありえない以上、上記の標語は心身共に健康で明日がとっても楽しみな人間宛てという事だ。どうせ私は自意識過剰だ。もし、私の意思を消し、その”誰か“に肉体を渡せるのなら是非そうしたい所だが、後述する苦しみからは逃げられない。
逃げたいのではない。消えたい。消滅したい。しかし、現実的に実行しうる自殺方法はどれも恐ろしい。失敗するリスク、死の苦痛、死それ自体、そして死の直前に生まれるであろう無限の後悔。こんな事をうじうじ考える人間が自殺をして全く後悔しない訳がない。
痛みなく、死の気配すら感じずに消えたい。安楽死が許されればいいが、無限の後悔だけは消せない。何らかの設備を使用する限り、どの段階で意識を失おうが、その直前に必ず後悔が現れるに違いない。誰も語りえない無限の後悔は恐ろしくてこの上なく苦しいに違いない。人生がどうしようもなく苦しいから消えたいのに。このような希死念慮が励起した時に、素早くポックリいけるシステムがあればいいのに。しかもそのようなシステムがある事、本人もそれに契約した事を知らないままで。
こうやってまた、下らない想像に耽ってしまう。
想像こそ、無意味な私の命を最も延命させてきたものだが、最近愛想が尽きてきた。所詮想像は想像でその場をやり過ごす酒にはなれど、何の救いにもなりはしない。
昔は、惨めなキャラクターが色々あって人生を好転させる物語が好きだったが、嘘っぱちだ。嘘の話が現実の人生に援用できるはずがない。
気づくのが遅い。完全にどうでも良くなった頃には、たった一つの冴えたやり方を実行する勇気は出るだろうか。出て欲しい。過去の自分はこの歳になってもこう考えている私を知ったら、まあ、知らずとも軽蔑するだろう。
とにかく、全部嫌になってしまった。