私は18歳の女子高生です。
中学生の頃から22歳くらいで死にたいなとなんとなく思っていました。
ある日一度だけ祖母と母親にポロッとこのことを言ってしまった時があったのですが「ただの思春期特有の心の乱れだから気にしなくていいよ」、「病んでるやん病院行く?」みたいなことを言われただけでした。
別に病んでるとかではないのですが、身内や周りの大人に言ってもそんな感じで「病んでる」の一言で片付けられてしまうし、祖母や母親の言う通り「早死にしたい」という考えがおかしいこともわかっていて、でもどうしてもその考えを捨てきれずに1人で抱え続けてきました。
捨てきれなかった理由として、昔から注目されることが嫌すぎて(反応に困る)「自分は誰からも見られていない(言うなれば『自分はどんな時も観客席の野菜側』)」という考えを自分に植え付けて生きてきたくせに承認欲求的なものが根底にある、そんな矛盾した自分の考え方が嫌いだったこと。
高校生になってからは本当に毎日幸せを感じているのと同時に「幸せと不幸は平等に訪れる」なら幸せなうちに死んでしまいたいと逆に強く考えるようになってしまったこと。
正直22になってないけどもう死んでもいいかなと思うほど満たされています。
誰でもいいです。誰か一緒に死んでくれる人を探しています。
もう私は満足です。
ここまで長ったらしい文章を読んでくださりありがとうございました。もし変な言葉遣いになってしまっていたらごめんなさい。
どうして、誰かといっしょに逝きたいんでしょうか。ひとりではなくて。
私も、生きてるのが辛い日もありますよ。
死んだら、もう明日から悩まなくていいんだなって。幸せな時はこのまま死んだ方がいいのかなって思うこともある。
私には、愛する主人も子供もいるのにです。
大好きだった祖父が電車に飛び込んで自殺しているので、その悲しみや人にかけた迷惑を思って死ねないだけです。
別に神様もいないし、死後の世界もないし、ただただ、その日を無心に生きるだけなんですよ。生きていることに特別な意味や理由はないです。運だけです。その運も、単純に、たまたま生まれて、たまたま生きている、それだけです。地球だっていつかは太陽に飲み込まれて終わります。虫や人間以外の動物が生きるように、日々を生きたらいいですよ。できれば、たくさんの自然に触れて。
誰かに必要とされたいとか認められたいとか、思ってしまうから、苦しいんです。人はそもそも孤独です。
1人でも幸せになれるし、誰かと一緒でも幸せになれるし、1人でも不幸になるし、誰かと一緒でも不幸になります。全部たまたまです。
寿命が来るまで、生きてください。
多分、末期のガンなど、自分に余命がないことを突きつけられて、はじめて、本当は死にたくないと思うものなのかもしれません。
そんな風に、不可抗力で死期がきた時に、よろこびや幸せを感じるならば、それはそれで穏やかに終われますし、あなたの一生は、悪いものではないと思います。