先日、ついかつての自宅を見てしまい、またぐだぐだの日々を過ごしてしまいましたが、そんな中でも様々な形で起き上がるきっかけが…
有り難いことです。
“昼庵吞”に帰ると、縁側にスナップエンドウの差し入れが。
「やで、うでしや♪」
と、早速塩茹でして、お気に入りの徳利と猪口を用意し、最近お気に入りの呑み方のサムライロック(グレープフルーツ割り)で一献。
今日、注文した本が届いたので、パラパラとめくりながら呑んでます。
『となりの一休さん』(伊野孝行 春陽堂書店)
昨日、テレビを観ながら、サムライロック(ライム割り)を呑んでいると、新潟県の和尚良寛さんの話題が……。
昔、一人旅をしていた時、たまたま寄った道の駅で良寛さんを知り、その後も頭の片隅に残っており、これがきっかけで、即関連本を検索していました。
どん底からようやく這い上がる気になった矢先、二度に渡る失望から、またしゃがみ込んでしまい、それでもまたどうにか立ち上がったものの、コロナ禍による自粛で苛々悶々と過ごす日々……
負の感情は“負”を呼び寄せるので、それに抗いながら…
兎に角何でもいい…
自分の手で掴みとれるものを!
ともがき続けてました。
以前ほどの暴力的な呑み方はしなくなりましたが、酒だけに走るのは、歳を考えても良くないですから。
子どもが大好きで、よく一緒に遊んでいたという良寛さん。
改めて調べてみましたが、自称“似非坊主”の私には、眩しい存在……
と……
別の和尚さんの話が目にとまりました。子どもの頃、よく観ていたアニメ『一休さん』です。
しかし本当の一休さんは、アニメとは全く違う人物だと
後に知りましたが、数十年経って再び巡り合うとは!
届いた本を早速開いてみるや、この詩が私の心を鷲掴み!
俺の心は、始めもなく終わりもなく迷いつづける、
成仏しないのが、人の本来なのだ。
人は、本来成仏するというのは、仏の妄言だ、
人はもともと、道に迷うものだ。
悟りきるということを忘れて、すっかりとのんびりとしている、
いつまでたっても、このようだ。
そんなふうだと、金と真鍮と、正と邪と、仏でも分からなくなってしまう、
聞くところでは、仏と魔は紙一重の差なのだ。
破戒僧だった一休さんに、見掛けだけは坊さんの似非坊主の私は、惹かれてしまったみたいです。
良寛さんの如し心根で、一休さんの様に己に正直に、残りの道をぷらりぷらりとゆきたいです。