それがもし不特定多数への行動なら、媚び売りも好かれる努力も同等。
100人いて100人が好きってなるのはあり得ない。
その人の事がどうでもいい人、きらいじゃないけどって人、まぁいい子だよねって人、好きだよって人、合わないな嫌いだなって人……。
色んな人がいて、価値観や性格や趣味なども違って、その1人1人に好かれるように意識するのは媚び売りと同じ位にあざとい。
媚び売りは、自分の意思とは反していてもとにかく持ち上げ、へつらい、どうにか気に入られようとあの手この手でいく。
媚びるその先には、自分にとって何かいい見返りがあるんです。
媚びはその人に好かれる事が最終目的ではない。
好かれる努力というのがどんなものかわからないですが。
例えば自分が悪口ばかり言う奴だって気付けて言わない人間になる、というような、明らかに良くない部分を直す意味では、自分にとってプラスになるでしょう。
でも好かれる為に相手に合わせにいってしまえば、それは先ほどの対不特定多数ではなく対1人だとしても、同じ事ではないでしょうか。
好かれよう好かれようとしないことが、好かれる道への第一歩だと考えてます。