就職活動をしています。どうやら私には人が前提として持っているはずのものが欠けているようです。
履歴書、esに記載する自己PRやガクチカに、0を1にするような嘘は書きませんよね。深掘りをされた時に必ずボロが出ますから。もちろん添削をしてくれる人も、ありのままで大丈夫と仰ってくれます。しかしながら、無為に過ごしてきた日々の中に、果たして何のエピソードがあったでしょう。
書きようによっては何でも使える事は分かっています。ですが決まって求められるのは定量的な成果です。何の為に何を考え、何をし、どうなったのか。結論となる部分が漠然として良い筈もありません。
今まで提出してきた応募書類には、文末にうつろな数字が並んでいます。無い方がマシとも言える曖昧な数字です。私がしてきた事は、数字とは無縁のことです。小規模の文化部で活動し、アルバイトもただレジで接客をするだけ。それなりに真面目だったとは思います。ですがそれではいけないのです。主体性がないのです。
企業のIR情報を見ても、説明会で職務の説明を受けても、自分がどんな事を活かし会社に貢献できるかなど想像もつきませんでした。いえ、想像できる人の方が少ないでしょう。それでも皆頑張って知恵を出し、経験を繋げ、入職後の己を語ります。自分の中にある1を膨らませて。対して、0にいくら息を吹き込んでも、空気は抜けていくばかりで膨らむことはありません。
単位を落とさず、不祥事も起こさず、コロナ禍においては遊びにも行かず、家で静かに絵を描き、きのこを愛でて過ごしていました。そんな私を良く思ってくれる家族、友達に恵まれて幸せでした。いつもその想いに報いるように生きてきたつもりです。しかし、それはどうやら世間一般では0のようです。私を尊重してくれた人達に顔向けができません。きっと、運良く就職ができたとしても誰かの役には立たないでしょう。
1番嫌なのは、もうこれが自分なのだから変わりようが無いと諦めている自分自身です。周囲に甘んじ、堕落し、自分を崩そうとはしない。こういう図々しさを、元々は気に入っていた筈なのですが、今となってはとても良い所とは思えませんね。滑稽です。
長々と失礼致しました。要するに足りないものを補おうとせず怠けております。こんな無産市民も居るんだな、と思って頂ければ幸いです。