後何回残機を費やせば、私は普通になれるのだろう。
夢や目標はなく、やりたい事もない。
テレビで夢を語る人を見ると、眩しすぎて辛い。
ただ真っ当に生きたいだけ。
普通をこなしたいだけ。
その日が無事に過ごせればいいだけ。
でも、ああすみません。そこまで気が回らないです。
質問、一個しか思い付かないです。
そこまで考えられませんでした。
きっと普通の人ならそこまで考えて質問できるのに、私にはそこまで考えつきませんでした。
指摘された瞬間無能な自分にしんどくなり、顔が熱くなった。帰路で泣きながらブツブツと自分勝手な謝罪(独り言)を吐き出した。
別に強めに指摘された訳ではない。
無能を自覚しているのに、何処かで自分のハードルを上げているからその差で苦しくなっているだけだ。
独り善がりすぎる。自意識過剰すぎる。
それで泣いているのだから自分勝手がすぎる。
些細。酷く些細な事なのに、また残機が1減った。
月、火、水に土日の事を考える(早く土日にならないかな)。
木、金、土、日に月曜日の事を考える(あーあまた月曜日が始まる)。
後何回繰り返せば私はまともになれますか?
いや。いや違う。
本当はまともでなくても良い。
でも社会で生きていくため、生きていくためには普通を、当たり前を出来るようにしてまともにならなくちゃいけない。
私の世界に「○○したい」はない。
あってもそれは、前向きなものじゃない。
「○○しないといけない」は沢山ある。
それをこなさないと普通になれないから仕方ないんだ。
常に「自分は社会不適合者である」と言う自意識がある。
何十回確認してもどうせミスをしてるんだろうなと思っている。
過去も現在も未来の自分だって信用できない。
周りの人の方が優秀何だから任せれば良いのに、信用していないから任せられず、結局無能な自分がやる矛盾。
自意識過剰だと思う。
でもミスをしたらまた自分への信頼度が下がるからミスをしたくない。
ミスをしたくないが、行動指針になっている。
本当は駄目なんだけど。
無理何だよ。知ってるよ。私はまともになれないよ。
ずっと生きづらいのに、結局自分の性格に帰結するから誰にも責任転嫁できない。
無理だよ私には。残りの寿命を考えただけでゾッとする。
まだ生きてないといけないのか。無理。きつい。
気づけば検索履歴は「社会 向いてない」「生きづらい」で溢れた。そして同じ人を探して、ああそうだよね私だけじゃないよね、と何とか消化してまた平日をむかえる。
何一つとして成長していない。
小瓶の内容が全く変わっていない。
またきっとぶり返す。ああまた明日がきてしまう。
布団で眠るように息をひきとりたい。
誰か素敵な人に寿命を譲渡したい。
早くしにたい。
楽しいことは使用した事はないが麻薬のようなものだ。
生きる苦しみから逃れるには、楽しいことがないとだめ。
楽しいことがないと生きていられない。
でも、苦しみがあまりに大きいから、摂取する楽しいことがどんどん増えていく。
人によって、それは衣食住のグレードアップであったり、趣味であったりするんだろう、そんな楽しいこと。
でも満たされない。常に飢餓状態で飢えている。
どれだけ楽しいことをしても、効能はすぐ切れる。
焼け石に水のようなものだ。
悲しいかな、もう楽しいことが無い生活には戻れない。
楽しさを知ってしまった。喜びを知ってしまった。
ああ、また生きるために楽しいことを摂取しないと。
明日のためにこの鬱屈とした気持ちを消化しないとな。