大学の入学式だった。と言っても新2回生の。式中頭の中に彼がいた。これから人生の節目を何回迎えるのだろうか。その度に大人になれなかった彼のことを考えては泣くんだろう。中高の入学式卒業式でも泣いたし、大学生になるときにも泣いたし、地方から上京する前日にも泣いた。新しいものに包まれる家の中を見て泣いた。シリーズもののゲームソフトの最新作と新しいゲーム機を買って泣いた。彼はスマホなんて見たこともなかったはずだ。そう考えたら今目の前にあるこのスマホを見て涙が出てくる。運転免許を取って泣いたし、バイトをしている途中でも泣く。
私のような怠け者にすら簡単になれるものやれることを一つもできない存在として彼を認識してしまう。
一生変わらない存在ほど尊いものはないのかもしれない。それでも彼の人生の変化に立ち合いたかった。そして老い先で見送りたかった。いや、私が立ち会う人である必要も見送る人である必要もない。なんでもいいから10代の自殺者と表現される現実が悲しい。
自殺がダメとは思わない。でも、自分には味方がいないとか自分なんて誰からも必要とされていないと思って自殺をするのはダメだと思う。少しでも生きたいと直感的に思ってくれていたのなら死を選ばないで欲しかった。
10代の子の中には学校と家がこの世界の全てと思っている子がいるだろうけど、苦しいと思ったら新しい世界、自分が生きられる場所を探しに行くこともいいんじゃないかと思う。(それを逃げとか恥とか言う人いるけど別にやりたいことを探すことが逃げ、恥なわけないじゃん)
空の上の彼は一生ここに彼の自殺によって悪い方向に人生を狂わされている人間がいることを知らないのだろう。彼のにいちゃんが不憫だった。
昔は彼から生きる希望を奪った存在を恨んでいた。でもそれは何年経っても変わろうとしなかった。それに変化を求めるのがバカらしくなった。それなんかのために命を奪われた彼に腹が立ってきた。何もしてやれなかったという虚無感に襲われる。自分が"大人"に近づいて大人の方が罪深いことをしたんじゃないかと考える。一つの狭い空間に"未熟"な子供達を詰め込んでみんなと仲良くしろなんて無理があると。彼は"大人"の"犠牲"になったと考えるのが正しいのかもしれない。
大人になれることが奇跡かは知らんが、少なくとも今日隣にいた人たちが3年後共に生きて卒業を迎えられたらものすごい奇跡なんだと思う。私はやっぱり恵まれた環境にいるのだろう。