限界就活化学系ゼミ生です。4月から大学4年。
今日は初めての面接がありました。たぶん落ちたと思います。あとの会社はまだ書類選考待ち。返事が遅いから全部落ちてるのかもしれない。
果報は寝て待てと言うけれど安心して寝れてりゃ世話無いわな。
最近は仕事に就けず、親戚に噂される未来しか見えない。親戚の中じゃ、『良いところに行けないのは努力不足』なんだって。個人の事情も知らないで、誰かのことを貶している。糞食らえだ。
元々ネガティブではあったけど、それも度が過ぎれば脳には苦痛だ。本気で死ねるわけもないのにどうしても生きたくない。死にたいまま生きていくのはつらい。
ESを書いたり、PRを考える度につくづく思う。
何て面白みも強みも無い人間なんだろうと、考えている。
それなりに頑張ってきた人生だった。真面目に勉強して、言い付けを破らず、決まりを守って、その全ては人の目が怖いからだったけれど。
むしろそれが原因なんだろうか。気付けば取り繕って、誰に対しても怯えている。
先日、面接の練習で『PRとか一度も考えたことなくて笑』と笑っていた子が褒められていた。それなりに練習してきた私は『声が消えそうだよ』『この話は余計』と全く褒められなかった。私が下手だったんだろうが、やはり釈然とはしなかった。辛いね。(笑っていた子の話も随分とグダグダしていたのに指摘しなかったのはちょっとイラッとした)
それにしても、自分なりに声を出したつもりだったのに、それでも足りないのには絶望してしまう。そもそも、練習なのに膝がガクガクに笑って立っているのがやっとだった。
声の出し方も、肝の座り方も、ほとんどが個人の性格と環境で決まるのに、社会にはそれが好まれている現実に絶望する。
どうしようもないじゃんね。
発声練習しろって言われるかもしれないけれど、発声練習しなくて良い人が大多数な中で、それをしなきゃならない自分が嫌なわけで、理不尽に感じてしまうだけなのだ。
最近感じることは恐怖と理不尽と自己嫌悪ばっかりだ。こうやって拗ねていることにも自己嫌悪する。
自信は無いくせにプライドばかり高くて、自己肯定感が無いから他者に怯えながら、それでも他者に肯定を求めるしかない。
ずっとそうやって生きてきた。テストの点数、成績、賞、全部自己肯定感の拠り所だった。
でも就活は違う。
自分をアピールって、アピールできるところなんか無い。テストも成績も取り繕って真面目に生きてきた結果付いてきたもので、自分から工夫したことなんか無かった。
自信もない、こだわりもない、取り繕って生きてきたツケがここに来ている。
生き方が間違いだったんだろうか。
性格が間違いだったんだろうか。
とりあえず、私自身がどんなに間違っていたとして、親や親戚や知り合いに失望されることだけを恐れている。だから就活が怖いし辛い。
他者肯定欲求モンスターは結局のところ、他者を誰より恐れながら、そこに依存するしかないので、きっと死ぬまで死にたいまま、ぬるま湯のような地獄を生きていくしかないのだ。
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かなり久しぶりにこのサイトを見ました。
お返事が遅くなってごめんなさい。
本当にありがとう。
まさか誰かが言葉をくれるなんて思っていなかったから本当に嬉しいです。
大学のカウンセリングも頼りながら、まだ頑張れています。
正解も不正解も分からない手探りだけど、少しでも長く頑張れる場所、見つけたいです。
何とかやっていきます。
あなたの小瓶をありがとう。
アピールか、自分も出来なかったな。帰宅部だし。オタクでネガティブやったよ。
それでも今は1つの施設の管理者してるよ。転職はたくさんしたけどね。他人は怖いな、何考えてるかわからんし。
まぁ、少しでもやれそうな所に入って長く務めていけたらいいんじゃないのかな?それでお金稼いで結婚して子供出来て。そうしたら普通の家庭になれそうだな。その時親や親戚は認めてくれるよ。どこの企業に入ったかは関係ないんだよ。
なかなか自分のしたいことを仕事にするのは難しいし、出来たとしても続けるのも難しい人は多い。こんなはずじゃ無かったとか、良く聞く。すぐ辞めてさ。だから、少しでもやれそうな所を探して、長く続けてみようよ。
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