初投稿です。
やらされる勉強ってあんまり面白くないよね。
現在私は大学院生で勉強に手が進まない時がしばしばある。(それはとてもまずいことである)
そんな時はスマホでクソゲーをやったりしつつなんで勉強をやりたくないかと考える。
私は中学受験をして某中高一貫校に入ったものの、テスト勉強する気がないもんで成績はまーひどかったのね。(下から二番目とかそんなん)そこで成績が酷いと親がすごい怒るのね。何回も退学届を印刷して脅してきたりして精神衛生上よろしくなかったわね。(学校では明るくバカキャラとしてやっていけたからいいけど今振り返ってみると内面ではまあまあ精神が苛まれてたと思う、毎日めちゃくちゃ耳鳴りしてたし)
そうすると、勉強なんていよいよ楽しくなくなるもんで、いろんな塾行ってたけど、つきっきりで面倒みてくれるようなとこじゃないと全然成績が伸びなかったね。んでなんやかんやで高3で大学受験を迎えるわけだけど、そんな奴が早慶だの国公立だのそんなレベルに学力が達するわけないんだ。(そうじゃない人もいるけどね)
んで、浪人すると。
某大手予備校に通いはじめたけど、そこでの講義は楽しかった。別に簡単だから楽しいとかじゃなくて学問やそれにまつわる与太話を聞くのが楽しかった。受験のこと抜きにして勉強が楽しく思えた。浪人の時間はたっぷりあるもんだから講義だけでなく、本屋で立ち読みをしたりいろんなことに興味を覚えた。勉強って楽しいんやな〜と思え始めた。(結局2浪したけど)(だって受験のために戦略的に勉強することはその時は全く面白いと思わなかったし、そのために勉強することはしなかった)
んでなんやかんや某国公立に入学して本をたくさん買いまくったりしたり衒学気味になったりして勉強を楽しむことを覚えてきた。
んで研究室に入って、今に至る、と。
私の「勉強」というものに対する思いは、以下のような相反する思いがある。
・やらされるクソつまんないけど、社会で生きていくために必要なもの(であるらしい)
・社会的通念関係なく、やってみたらなんやかんやで面白いもの(どういう学問であってもそう思える自信がある)
この2つの思いのうち、後者の方だけを常に胸に抱いて私の眼前に現れるやらなきゃいけない勉強に立ち向かえれば良いのだが、前者の意識が出てくるともーやる気が出なくなるんだよね。
面白い、と思えるには時間がかかるからそうなるんじゃないか、って思うけど、じっくり自分を振り返ってみると頭に出てくるのは親が怒っている顔だ。
人が自分の思った通りに動かないならば怒る、というのはやはり良くない。子供のためを思って、とよく言うけど、子供のその時々の考え・感情を理解してその上で怒る必要があるかを判断すべきである。理解を伴わない怒りはただ暴力的なだけで人にトラウマを植え付けるだけだ。
まあ昔を振り返って自分の内面で結びついている嫌な感情はそれなりに明文化できたような、そうではないような気がする。
童心に帰って、何が嫌なのかを受け止めて、目の前の勉強を子供のように楽しめたらいいな、と思う。
けど研究ってのは他人からの評価がとても重要であり、切り離せないのである。他人からの評価に振り回されすぎると軸の中心が自分でなくなっちゃうのが怖い。そうするとやらされている感を感じてしまう。そーならないように努力したいところである。