僕は本当に生きているのでしょうか
実は幽霊で、誰からも認識されていなくて、その気になればふわっと溶けて風になって消えてしまえるんじゃないでしょうか
そしてその曖昧な存在のまま幾年も漂い続けて、後には何も残らないかもしれません
温暖化を進行させることも、誰かの表情を変えることもありません
僕が生きた証なんて、プラスもマイナスも一緒くたにして、当然何も残りません
もしそうだったら、そんな嬉しいことはないでしょう
まあ実際問題、人は結局生きています
僕も、これを読んでくれているあなたも、今のところは生きています
でも千年後、僕たちが存在していたという証明はきっとできません
歴史に名を刻めるのは一部の人だけ
その人たちだって、何万年、何億年とたつうちに忘れ去られていきます
それほどの時間が過ぎれば、今は多くの人があると信じて疑わない地球の存在ですらも揺らぎます
そうなったとき、当然そこに善悪はおろか、「こうあるべき」だなんていう偏見は残らないのです
幸せも不幸せも、時の流れに飲み込まれて、空白だけが存在しうる世界になります
「ただ、いっさいは過ぎていきます」
そうであれば自分のしたいように生きるのが人間に生まれた筋というものなのではないでしょうか
僕の書いたこんな意見だってきっといつかは消えていくでしょう
それでも書いている途中が楽しければそれでいいかと思いました
以前幸福そうに思えて羨んでいた人の心情は、案外手近にあったのかもしれません
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小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前のない小瓶
そのとうりですね
なんか仏教の無常観みたいだなと思いました
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
これは平家物語の冒頭です
これと似てるなあと個人的に思ったりしました。
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