母との関係は私の癌だ。
いつも精神的に辛くなってくれば、
その問題に辿り着き、なぜ生きなくてはいけないか、
考え直すことを始めなくてはいけない。
家庭不和の中で育ち、両親は離婚しなかった。
両親として機能するためではなく、
不協和の処理も、離婚する事も諦めたように思う。
音信不通の父のいない生活が始まり、
父は去年のコロナ禍の最中死去した。
2020年5月末、父の生まれの区役所から、
過払いの介護年金を返還したい旨の通知が届いた。
父が亡くなった事は既に終了した点とみなされていて、
終わった事だった。
最後にあったのは、一浪したいと念を押しに会った高三の冬だと思う。父は早期退職の退職金を家族の口座に入れなかった。
もう30代も半ばを過ぎた私が、育ちのことに打ちひしがれ、その度死にたいと願う事を自立した大人のすることかと思うこともある。
死にたい理由は、寧ろいつもそこだ。私は家庭の不和に未だ翻弄されて、自分でコントロールも出来ず精神的に浮き沈みを繰り返すクズだと思うところから始まる。
それが分かっていながらも、不毛な場所に留まって、この沼から這い出さないのは長年の不遇の環境に置かれたせいなのだと親を責めたいのだ。
でも父は死んだ。母は私を知らない。
情けなくて振り絞るのも嫌になる言葉も、
発されれば、ただ私に振り返ってくる。
母は一般的な人ではないかもしれない。
私が大人になるにつれ、母の社会の中のでの姿が
感じられるようになるにつれ、感じたことだ。
人付き合いが不得手とも言えるのかもしれないし、
本当にそれだけのことかも知れない。
だけど私の気持ちは母には伝わらないし、
私は最大限で、母には少しおかしいところがあるから
私の事も分からないことがある、そう認識することしか出来ないように思う。
母も老いてきた。父は早いほうだったが、死んだのだ。
母も身体の調子を壊すことが増えるだろう。
苦しむ母を私はいつも見下ろすことしか出来ず、
焦る。母が苦しむなら助けるのが普通だろうが、
私は母に大丈夫?と肩を抱く気持ちが湧かないのだ。
突き放せば後悔するに決まっている自分と、
それでも動けない自分の間でパニックになったいるのだろうと、去年気が付いた。
母はもともと耳が弱く、若い頃も中耳炎で医者に行くことが多かった。ある日長引いた風邪が災いして、三半規管に症状が出てしまった。
ふらつきと目眩が酷く、立てなかった。
初めて見る人なら驚くはずだ、人が立てないのだから。
なのに私は母を心配したくなかった。
自分でどうにかして欲しかった。
救急車を呼んで欲しいなら、
さっさと言って欲しかったし、
私に委ねないで欲しかった。
目の前で苦しんで私に何かさせないで欲しかった。
具合が悪いのだから、そんなことテキパキとする必要さえないのに。
だけど私は母の為に何かしてあげることに、
全く身体が向かわなかった。
母と私には、私たちの間には様々ある。
解決していないものが様々。
そのせいだと自分でも分かっている。
有事に何もしない事や、何もしないで母を逝かせる事が、結局私を打ちのめす事も分かっている。
どうしていいか分からない。
ひと月に何度かこんな事に囚われたまま過ごしているのはおかしいと、医者に行く事も考える。
でもやはり、どうしていいか分からない。
何をどうしたら主さんの心が晴れるのかはわからないのですが、一般的な話として、主さんとお母さんの間にあるものがはっきりと形になった時、例えば言葉になった時、人はそこから変化することは可能のようです。
ただわかること。
それだけです。
そこから変化しようと自然に思うようになる。
むしろ、今のように、親孝行しなければと考えれば怒りがそれを拒むでしょう。
善悪は人の気持ちを抑圧して欲しいものを欲しいと言えなくしてしまう。それらは個人に良い結果をもたらさないと思います。
解決していない様々なこと。
それを完全に日の目に晒して(誰かに言う必要はなく、自分で対峙するだけです)、例えば愛されたかったけど憎んでいること、欲しかったけど与えられなかったこと、過去のその時々の気持ちに真摯に向き合うこと。
もし、難しかったら専門家に委ねることもあるのかもしれません。
お母さんに対して冷たいと感じるご自分をどうぞ許してあげてください。そうすることは愛情を与える能力のなかったお母さんを認める力になると思います。