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今まで長い間答えを探し求め続けてきた。でも誰一人として答えてはくれなかったし、本当の意味で自分の考えを理解していた人は誰もいなかったように思う

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今まで長い間答えを探し求め続けてきた。
でも誰一人として答えてはくれなかったし、本当の意味で自分の考えを理解していた人は誰もいなかったように思う。
自殺などの言葉を口にすると、大体何か嫌なことがあったのかと聞かれたり何か嫌な事があるという前提で話がすすめられる。
ちょっと待ってほしいとはなかなか言い出せない空気だ。
嫌な事は……確かにあった。
沢山沢山あった。しかし、それが原因かと聞かれるとそうだとも答えられるしそうじゃないとも答えられる。
自分の中にあるこの大きな大きな穴はそんな場当たり的なもので解決できるような気がしなかったが、それでも色々な人の意見を聞くためにもある意味ずっと相手に話を合わせてきたとも言える。
しかし、違うんだ。
そんな今日明日で感じる嫌な事ではない。
自分の「嫌」は紛れもなく自身の経験を通して見たこの世界へ対しての「嫌」なんだ。
一つ一つの経験を上げれば非常に長くなる。
しかし、どれに対しても自分が出した答えはこれは恐らく2000年前には似たりよったりの出来事が誰か別の人に起きていて、そして2000年後もまた似たりよったりの出来事が誰かに起きる。
漠然とした「嫌」というものが大昔から現在まで、そして未来永劫人間がいる限りは続いていくように思えた。
それが嫌だった。
自分にはその意味が見いだせなかった。

そんな中で……今日ようやく見つけた。
アルベール·カミュ。
ずっと疑問ではあった。長い人間の歴史の中で本当にこんな事を考えたのは自分だけだったのか。
でも、確かに彼の一文から彼の思想が自分の感じてきたそれと非常に親和性が高い事が分かった。
「人生が無意味であるならば、自殺は無意味な人生に対して唯一合理的な行いなのではないか?」
これだった。
自分がずっと死にたいと思ってきたのも自分自身を終わらせたいと思ってきたのもこの一文のような思考だった。
突発的なものではなく、熟慮した結果の理性による判断。
自身を終わらせるという行為は大抵突発的かまたは背景に何か抗えない理由がよくあるだけに、ただただ考えて考えた結果という答えは誰とも共有できなかった。
しかし……多分アルベールカミュは何か答えを知ってそうな口ぶりだと略歴を読む限りでは思う。
ようやく自分の長年続いてきた思想の迷路から出る事ができるのかもしれない。
名前のない小瓶
110705通目の宛名のないメール
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ななしさん
私もこの前、たまたまネットで「不条理」という言葉に出会い、そこからカミュに行きつきました。カミュの存在自体は、元々コロナが流行り出して『ペスト』が売れているということもあり知っていたのですが。結局カミュは自殺もせず不条理を受け入れ生きていったとWikipediaには書いてありましたが、それって結構難しいのでは……と思っています。私もカミュの存在を知って少し自分の世界が変わったように感じます。あと個人的にはシオランの思想なんかにも共感します。一度読んでみては?
死後の事は知らんから何も言えんが、死も一つの手ではあるかもな。

だが、経験から思考はなり、思考から認識はなる。
認識とはメガネのようなもので、それは主観とも言い換えられる。

俺も死にたかった人間だからというのもあり、自殺するか否かに関しては何も否定しないが、死にたかったからこそ、辛かったからこそ、そういう時こそ思考や認識は狭まり、選択肢が見えにくくなるものでもあると知っている。

小瓶主さんはもう知ってる筈だ。
見てきた、知った人間の中には酷い奴もいると。

…本当に嫌いなのは、世界なのか?

くどいようだが、別に死ぬなとは言わない。止めもしない。
というか、そもそも言った所で、俺には何の決定権もない。完全な他人事だからな。

だが、言いたい事を言わせて貰えるのならば、人生を無意味かと思うのは、自分で作り上げている思いだ。
自身の経験から、導き出している、一つの価値観、思想だ。
それは変える事が出来るものの一つだよ。

アルベールカミュの言葉を見つけるまで、自分の気持ちや思いが、上手く見えなかったのだろう?
そして、その言葉によって、明確なものへと近付いた。変化できるという事だ。

人間というものは、変わるものだ。
だが、その変化というものは、良くも悪くも、今まであった情報を歪めてしまう、圧縮してしまったりする、そういった側面もある。

だから、一部が嫌いであったはずの事が、いつのまにか全体へと広がり、規模が大きくなる。

俺も人間は嫌いだが、この言葉の表し方をもっと正確にすれば、「人間の中でも倫理観に反する行いをするような、気に食わない奴が嫌いだ」とでも言い表せる。

なのに、いつの間にか、「人間全体が」嫌いになる。
そして、同じ人間である、自分の事も嫌いになる。

我が事の話をすれば、あの時の俺の思考には虚しくなる。
確かに、その時々は、事実として「人間そのものを嫌う」が、元々は「特定の人間」、特定の条件が嫌いだった筈なのに、全体を避けるようになる。
間違いなく、俺の思考はズレていった。
(この過程には人間の防衛本能や、情報処理の仕組みが関係しているらしい)

嫌いな要素を持つ人間がいて、そしてそれに似た、嫌いな要素を持っているように見えた人間の悉くを嫌い始める。
その人の中身なんてよく知りもしないのに、「持っている」という判断を下してしまう。

持っているかどうかを判断するのは俺で、相手じゃない。
だから、その要素を持っていなくとも、「それに近い要素を持っていると思っただけで」、その判断を下してしまう。
(余談だが、その認識を相手側が変えようとしても難しいので、対処として判断の自覚を持っておく必要がある)

人間なんて、同じ種族として、似たような要素ばかりではあるが、全く同じという事はありえないのにも関わらず、「過去に見たものと同じ」だと、俺は思い込んでしまった訳だ。

それは先入観や偏見というメガネ、時に誤った認識として、思考に作用する。
別の表現をすれば、極論だが「人は自分の関心のある事だけを、意識的にでも無意識的にでも選んで、受け取っている」という事になる。
(この〇〇はこうだ、と強く盲信したものには、誰の声も届きにくくなったりする)

そうなると、自分から、事実かどうか関係なく、他人の嫌な事を見つけ出すようになる。自分自身の中にも、それを見出すようになる。
そしたら、当然、嫌な気持ちになるだろ?そして、そんな自分自身にも嫌気がさして…、悪循環って奴さ。

死にたいという思いや、そこに詰まる背景があれば、「人生が無意味」という言葉を絶望的に捉えるかもしれんが、人生が無意味でも今ここに生きてはいるしな。
人生の中身には、俺たち人間がいて、その人間が意味を見出していくのだから、人生が無意味でも何も変わらない。

なくても生きているし、意味が欲しければ探せる。
解釈次第と言えばそうだがな。

ややこしい話が、人生を無意味だと思う事は、『「人生が無意味」という意味を己が持っている状態』なのだ、と言えば良いか。
俺たちが、何かに対して、意味や価値を作ったり、付けているのだ、というか。

まあ、小瓶主さんがどのような過程思考や背景から、この小瓶に書かれた思いになっていったのかは解らんが、問題が「思考」であるならば、思考を変える事で思想から抜け出せる事もあるかもしれんな。

迷路から抜け出すには、死ぬ以外の選択肢もあるのではないかという話だ。
(悪いが、その言葉を出した時点のアルベールカミュさんにとっては、自殺が唯一合理的な行動に見えたのかもしれんが、俺にはそう思えない。…何を「合理的」とするのかが違うからだろうな)

ただ、無理に小瓶主さんを変えたいとは思っていないというかな、先ほど書いた通り、それは他人の意思であって、俺の領分ではない。
変わりたければ、思考や認識を変える方法が、一つとしてあるかもしれない、という事を提示したかっただけだな。

なんにせよ、苦悩があるというのなら、それが和らぐ事を願うよ。
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ねこさんへ つら 見据えられた終わり。私はどうやって死ぬまで過ごすのだろうか。今、とても大事な選択を間違えてしまった気がしている。 虚無。苦しみ、悶え、逃げ出したくなるような日々。何処にも居場所なんてない言葉だけが何処にたどり着くはずも、届くはずもなく落ちる 4月は死にたい季節 塾の帰り。幼馴染達が遊ぶ約束をしているのを聞いた。良いなって思った。私も遊びたいと思った。だけど私は、参加したいとも親に遊んで良いか聞くとも言わずふーんって言った 孤独ったって自分がいんだから自分と他人の距離感で一緒にいりゃいいやんって思う。 何もかもが嫌。しにたい 昔からさ、すごいお腹が鳴るんだよね。鳴るたびに恥ずかしくて顔が赤くなったり手汗がひどくて、調べてみたんだけど「過敏性腸症候群」、「腹鳴恐怖症」を発見。 急激に日差しが強くなってきましたね。両極端な気候は、狼の抜け毛の季節を追い越していきます。 この世と完全に無関係になるために、この世から消えたい。死ねばすべて終われる。あと何年だろう……もう少し、もう少し 今まで幸せに大事に育ててもらったと思ってるのに、他の幸せそうな家族を見てると辛くなる。 今年の目標! 今日は2年ぶりに友達と食事してきた。離婚切り出されてからの1か月ちょっと、電話やメールで幾度となく助けてくれた大事な友達。本当にありがたかった。 愛が痛くて罰が無痛。自分と同じように過ちを犯した人が何年振りかにメディアに取り上げられて「戻ってきてよ」「大好き」ってコメントが寄せられているのを見て心が痛くなってしまう

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