ある講演の方が言いました。
悩み
は
人工物
だ…と。
そしてその
人工物の悩みに
押し潰されてしまう
方たちは・・・
選択肢が無いと
思い込んでしまう事が
多いと言われました。
だからもう死ぬしかないと
考えてしまうそうです。
例えば・・・・
学校でいじめられているとしましょうか…
・・・でも・・・です。
・先生や親や、警察や行政に相談しに行けばよいという選択肢がある。
・学校を休むという選択肢がある。
・いっそのこと学校を転校する選択肢がある。
・学校を辞めるという選択肢がある。
というように。。。
簡単にそうは行かないかもしれないけれど、
「選択肢がある」のです。
未来の「選択ができる」ということ
「選択肢がある」ということ
を頭の片隅に置いて生きていると良いそうです。
「悩み」という人工物を自分が創れるのならば
逆の「未来への選択」も自分で創れるでしょ?
とも言われてました。
死にたいと思う事はある。
けれど、それは何でか?どうしてか?
を自身に問い詰めていくことは必要と思います。
また死にたいという思いがあることを認めながら
未来への「選択肢がある」ことを認識し、
どの選択をしていこうか。。。
・・・と考え選択を実行すること。
そういう選択肢を皆持っていて、
選択をして、選んで、行動していっていいのだ
ということでよいと
思う。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
本当に、追い詰められている時や絶望している時って、他に何にも選択肢がないと思いがちかもしれません。
行動すること自体が、億劫だったり、怖すぎたりもしますしね。
反対に妙な高揚感とか、じっとしてられない気持ちが溢れて来ることもありますし。
可能なら幸せに生きたい、と願わない人は、多分あんまりいないですよね。
そこまでの道が、なかなか見つけられないことが、とても多いですけれど。
すくんでいる時って、どの選択肢を選んでも、不正解な気がしてしまいます。
選ぶということは、引き受けるということでもあるから、余計に怖い。
しくじると酷い目に遭う、という感覚も、人工物の悩み、なのかなぁ…。
冬
おっしゃる通りだと思います。
あるはずの選択肢が見えなくなってしまう。
または、そんなことはできないと跳ね除けてしまう。
過去の作法に則って、こうすべきだとかすべきでないとか、条件付けられてしまう。自分の身体なのに何か他の考え方に乗っ取られてしまう。
四六時中思うままには生きられないけれど、ある期間、ある瞬間、大事な決断、その時に本音の自分に向き合う勇気が、選択肢を広げてくれる気がします。
簡単にはいかない。
でも選択肢はある、そう思います。
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