これは別所に自分で綴ったもののコピペとなっています。そのため、脈絡はありそうでありません。
僕は常々死にたいと感じています。昨日の昼も、精神科でもらったばかりの薬を半分一気飲みして眠りにつきました。もっとも、これは死ぬためではなく、安らかに眠るためなのですが。
あ…だめです……。
人間としての活動ができません…。
刃物や薬…その他諸々の衝動に耐えながらひたすらにうずくまって文字を打つことしか出来ません…。
常人になりたかったです。もっと豊かな心が育める家庭が良かったです。…ないものねだりをしても、という気持ちはありますが。
切れ味のいい携帯用刃物や麻紐を買う気力もない…何故…何故…。薬は残っているけれど、カッターを購入したことがバレると実家暮らしであるため、すぐに捨てられる。麻紐は麻紐でも、それよりもいい終わりかたがあるのではないかという気がして。
親は僕に期待するようなことはしなくなった。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。
しかし、能動性のない僕にとってそれは、無意味に時間を浪費する言い訳にしかならない。
殺すなら、はやく…。
もう、下手に絶望感を味わうくらいなら、今すぐにでも終わってしまった方が…いいんじゃないかって……。
傲慢ですか、それでもいいです。
考える事は価値です。だからこそ、僕を価値なきものにしてほしいのです。考えることも、何もできない何かにしてもらえたら。
一人で外に出るだけで、何者かに拉致されるか、後頭部を殴打されるか…。そんな妄想ばかりしている。願望と言われれば、そうではないものの、怯えつつもそうなることを祈っている自分がいる。
この間、久しぶりに足に刃物を滑らせた。何度も。何度も。何度も。昔「そうした痕」が愛おしくさえ思える。これが己のアイデンティティなのだと、そう信じて。
ああ僕だって、本当は、寂しいんですよ。でも、人に関わってもらうのは、どうしようもなく申し訳なくて、孤独を選んでしまう。人の善意が恐ろしい。本当は、何か思惑があるのではないかと、疑心暗鬼になる。
外に出たくない。ああ、でも、新学期からはまた外だ。学生生活は終わらない。電車の中で無数の人間に怯える生活が始まる。
そもそも、進学先には期待していない。
どうせ最近のゲームやアニメが好きな薄い人間しかいなさそうだし、絵をアイデンティティにしているのにその絵をズタズタに評価されるんだろうから…。
入学式すら、行きたくないんですよね。知らない人間がびっちり並ぶ訳じゃないですか。ああ、希望は見えないですね…。
社交不安障害に、人間社会は生きづらい。
社交的不安障害とは、ある特定の場所、あるいはどこにいても誰かに見られていると、不安や緊張感を感じ、次第にその場所を避けたくなる障害。社会では今日もいろんなひとが頑張り、挫折を味わい、自殺を図り、他の誰でもない自分のために死ぬ。自分が死ねば誰かが喜ぶ?聞いたことない。私も障害。コケイン症候群。辛かった。治療は痛いし、コケインは治らない。何のために生きてるのかと思っていた。治らないのにこんな辛い治療続けなきゃならないのか。他のみんなはいいな。と。
でもね、ある日同じ病気の子のお母さんが言ってくれた。
生きてることは、奇跡なの。どこかに支えてくれる誰かがいてくれることは素晴らしいことなのよ。誰が自分を支えているのか?と思うでしょう?それは、産んでくれた人や、周りにいる全ての人よ。自分が障害者だから運が悪いとか、そういうものじゃなくてまずは生きてることに感謝ね。
この言葉で私は変わった。私はあなたとは違う立場だけど
これだけは伝えたい。生きてることに誇りを持って。辛くてどうしようもない時は休む!あなたが死ねば世界の誰かがきっと悲しむ。あなたが死ぬこと一つで人生が変わってしまう人もいる。あなたには家族がいる。ぜったい、生きてね
娘が2時間かけてあなたのために声を振り絞りました
あるコケイン症候群の子、その母より