個々の存在を尊重し合えばいい、性別で生き方が制限されるべきではない、という答えは自分の中で出ていますが、少し外の世界に触れると、必ずジェンダーバイアスのかかった言葉が入ってきます。人が失敗すると、「これだから男/女は」と勝手に納得されます。テレビも「それを抜きにして語れないのか」というくらい偏見が強くて見ることができなくなりました。
どちらも生きづらいと思います。
私は女性ですが、女性のみなさん、女性にうれしい、女性でもできる、から始まる広告だけで胸がざわざわします。こうしたことをいちいち気にする人は、大体お気持ち、とかいう言葉で片付けられて叩かれてしまいます。
女性は外見を磨き、結婚して子供を産むことを幸せに感じるという共通認識があまりにも根強くて、同性から同意を求められることも多く、その度にわっと泣きそうになります。個人がそれを目指すのは勿論自由ですが、どこにいても何をしていてもその前提を匂わせるような話ばかりで窮屈です。恋愛も結婚もしたくないし子供もいらなくて、現代なら「別にそれでいいじゃん」、と受け取られるものだと思っていました。気にしなければいいと。しかし実際は「産んでみたら子供はかわいい」とか「諦めるには若すぎる」とか「説得」を試みる人が多く、多分一生結婚できなかった何かが欠けている人としてレッテル貼られて自分の意思と伝えても負け惜しみだと馬鹿にされるんだろうなと思います。仕事での評価などに支障が出たらたまったものではないです。それでもしたくないのでしませんが…。結婚したらどちらかが自分の姓を捨てることになるのも、働いていようが「奥さん」「嫁」と呼ばれて相手が「旦那さん」「ご主人様」になるのも、仕事と家事の両立を求められるのがなぜかいつも女性なのもよくわからないです。家事に向いている男性、仕事に向いている女性の存在はカウントされていないのかと。なんで未だにそうなんだろうと。
本格的に何かに取り組んだり物事を極める能力がない、とか、自分の世界を持っていない、とかそういう偏見もあって、中にはものすごく才能あるのに性別を理由に可能性に蓋をする方もいます。やるせないです。
男性に生まれると社会的な期待のもと常に重たいプレッシャーを背負うんだろうなと感じます。体力に自信のない男性やサポート役に回りたい男性も、体力仕事やリーダーを押し付けられたりします。優しくて繊細だと「ナヨナヨしている」「女々しい」と批判されます。優しさも繊細さも別に女性のものじゃありません…。つぶしてはならない個性が「男らしくしろ」という圧力に攻撃されます。女性だとマナーになっている化粧を男性がすると多くの場合「マナー違反」です。一般的な学校や職場だと髪を長く伸ばすことも許されません。おかしいですよね…。
女をあてがわれたら喜ぶだろうという前提でセクハラされたり、苦手なのに下ネタを振られて困惑する人もきっと沢山います。男性に対するセクハラ、目の届く範囲ではなるべく注意していますが、かなり軽視されていると感じます。
人間は繁殖以外にも多様な目的を持つ動物であるにもかかわらず、こんなにも性を強く意識して生きなければいけない。最悪身の危険にも繋がって、被害に遭ったほうが「異性に警戒しないから」と叩かれる。危害を加えたほうが100%悪なのに、すべてが理不尽です。性別があるから多様性が生まれて繁栄してきたと言われても、人間に愛着がないので、だからなんだ、結局多様性どころか性別に縛られているじゃないかと思ってしまいます。
「気にしないで我が道をゆく」だけでは解決しない問題ですよね。
何を言ってるんだかわからなくなってきましたが、10年以上毎日こんなことを考えては堂々巡りになり、希望がないからなるべく早く死ねたらいいな、で思考停止します。自分で死ぬほどの勇気も、世の中変えていこうという気力もありません。他人のせいにすることは楽なので、例え性別がなくなっても出身地や国籍などに因縁をつけていがみ合い差別する人は絶えないと思います。
支離滅裂でオチもない文章をここまで読んでくださった方、ありがとうございます。もし周りに「男/女らしさ」で苦しむ人がいたら、その人に味方して頂けると嬉しいです。