『お別れホスピタル』1~3 (沖田X華 小学館)
人は必ず死にます。
それは抗いようのない事実であり、だからこそ当たり前に捉えず、大切にしてほしいと、この作品を読んで改めて感じました。
私の父は、35歳の若さで腎臓を患い、約30年透析を受け続けました。
当時、私は4歳、弟は0歳。
いつ逝ってしまってもおかしくない状態となってしまい、神奈川県から千葉県へ移る計画を取り止め、母の実家を頼りに田舎へと引っ越しました。
落ち着く暇もなく、即入院し、透析が始まりました。
最初の数年間は、週に3回。長い時間がかかるので、その日はまともに仕事をすることは出来ません。
車の免許を持たない母は、私を送り出した後、弟をおぶって、自転車で病院へ何度も通ったそうです。
退院した父は、地元の町工場へ就職。
私や弟が学校を入学し、卒業するまで生きる…と目標を立て必死に頑張り、それは1時間と立っていられなくなるまで、働き続けました。
厳格な人で、子どもの頃の抑圧からか、私が成人してからは、面と向かえば考え方の違いから、よく衝突を繰り返しましたが、私は父の生きざまを、その後ろ姿を見て育ちました。
そのおかげで、今の自分がいると言えるでしょう。
母の田舎へ移って以来、様々な辛い体験を繰り返し、まさかこの歳になってまで、こんな仕打ちを受けるとは…とまで、色々ありました。
流れ流れて故郷を離れ、居を転々とし、もう誰も助けない、何もしないと決めましたが、そんな矢先に宛メと出会い、愚痴るはずが、私の経験がせめて誰かの糧になれば…と想い、また余計なお節介をやきはじめました。
幸せや良いことは、大きいものばかりではありません。
しんどくて、辛い日々の中にも、周りからみれば小さいことであっても、私にとっては嬉しいことがあります。
昼庵呑の窓から見える、朝陽がそうです。
小瓶を誰かが拾ってくれたことがそうです。
拙い言葉を並べただけのメールに、お返事が届いた時がそうです。
待ちに待った新刊が、発売された時がそうです。
素晴らしい映画作品に出会った時がそうです。
そして遠方から、数少ない私の友人が、訪れてくれた時です。
そんな喜びが、私の支えです。
その喜びを私なりのやり方で、お裾分けです。