何かができても、できなくても、「私はここにいてもいい」と思える子どもを1人でも多く育てたい。
間違えていい。喧嘩してもいい。上手くなくていい。たくさん失敗して少しずつ学んでいけばいい。初めから大人が思う「正しさ」の枠に閉じ込めておくことを、本当に教育と呼んでいいのだろうか?
部屋中を水浸しにした子どもを散々に叱りつけて、「ごめんなさい」を無理やり言わせて、それで満足?水浸しになった部屋しか、その状況しか見ていない。あなたを見つけた時、子どもは嬉しそうに笑ったのだ。「水で洗って綺麗にしたんだよ」と、本当は言いたかったのだ。他でもない、大好きなあなたに喜んでほしかったから。
かくいう私はまだ大学生。自己肯定感が備わっていないことで散々に生きづらく苦しい人生を歩んできたから、どうかこれからを担う子どもたちには、毎日を幸せに過ごしてほしいと願っている。「躓かないこと」ではなく、「躓いても立ち上がれること」を知ってほしいと思っている。
保育所、小学校、学習塾、子どもキャンプ。
様々な場所で子どもと関わってきたが、そのどれもがまるでブラック企業かのように子どもを洗脳していくから、私はそれが耐えられなくて、どんな仕事に就けばそれぞれの子どもらしさを育んであげられるのかがさっぱり分からない。
百ます計算をさせて、タイムを測って、遅いと叱りつける。その子は前回よりも確実に早くなっているのに、なぜそこを見てあげない?どうして恐怖心を煽って子どもを支配しようとする?
ああ、本当に、ストレス。
やりたいことはこんなに明確なのに、それに当てはまる仕事を私はひとつも知らない。地道に理想の就職先を探すか、とりあえず就職して私が環境を変えていくか、自分でそういう場所を作るか、妥協するか。
「子どもが好きだから保育士」なんて、もちろんそれがなきゃ務まらないけど、それだけではやっぱりダメなんじゃないかな。絵よりピアノより工作より、もっと求められなきゃいけない専門性ってあるんじゃないかな。誰でも出来る仕事だと言われてしまうのには、そういうような理由も含まれているのかもしれないなぁ、なんて思った。
私は、何を目指せばいいのだろう。
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冬
理想を言えばシュタイナー、サマーヒル、そういう方面に飛び込むということもありだと思います。
ただ理想は、こういう教育、やり方でなくちゃ素晴らしくない?正しくない?この理想が人間本来のあるべき教育なのだ!と決めつけてしまうと、それこそ主さん自身が引き裂かれてしまう気がします、老婆心ながら。
シュタイナーもニールも彼だから、そこをとことん信じてというかそれしかないと揺るがない確信があって進んだ道だと思う。
今、主さんが就職先をゆらいでいるのなら、これだけは出来ないと思うところで消去法して、ここなら最低限許せるというところを選ぶ方法もありだと思います。
結局、生き方なんじゃないかな。どう生きたいか、どう生きたくないかの選択。
あともう一つだけ。
何故あることがストレスと感じるのか、そこはご自分で深く理解しておくと、他人のそれをやる過ごせることがあります。
無意識は自分で制御出来ませんが、意識化したらコントロール可能になります。
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