小学生の頃から親からの虐待。
学校での酷い いじめ。
他人から 生きることを否定される言葉。
小学生高学年になってからは親からの
虐待はひどくなり 兄弟にまでも
殴られ 蹴られの毎日。
兄弟が 熱を出せば 親は優しく看病していた、
私が熱を出せば「勝手に死んでろ」
その日はよくわからない
笑いと涙が止まらなかった。
小学生の卒業式練習を一日でも
休めば 親は包丁を持ってきて私の首に
つけ 「ここを刺せば一発よ」と
言った。
学校では 濡れ雑巾を投げられたり
階段から落とされたり 教室の鍵を
閉められて閉じ込められたり トイレ掃除
の時 ホースの水をかけられたりされた
先生は何かあったら 言いなさいと
言ったけれど
先生は味方ではなかった...。
あなたの家族のことは私は知らないから
なんて...。
中学生に上がってから 学校に行くたび
体調を崩した。先生が訪問してきた時
包丁を持って死のうとか考えたけど
怖くて無理で先生に取られてしまった。
「とりあえず学校においで」って
言われたけど 無理で いろんなところに
電話して、
学校に行くふりをして 自転車で
交番に行って 話をした すると本署(?)
に行くという話になり パトカーに乗るため
交番の前に置いた 自転車を家に置いて
こなければいけなくて 住所を教えて
私は自転車を家におきにいった
すると家 ドアからタイミングよく
親が出てきて 私の腕を掴んで 「早く家に
入りなさい」「早く!!!」と怒鳴られて
必死に抵抗したけど 無理だった
家に無理矢理入れられ ベルトで一発
叩かれた
するとピンポーンと鳴り 親が出た
私も 影からみると 交番の人達だった
親は声をかえて「私の娘が何かしたんですか?」言った。
とりあえず交番の人達のおかげで
外に出てパトカーに乗れた。
私はベルトで叩かれた痛みと恐怖で上手く
息が吸えなかった。
本署(?)で体の傷を見てもらったり
同じ話を違う人に何度も話した。
とりあえず児童相談所に
行くという話になって またパトカーで
児童相談所へ向かった。
児童相談所は怖かった 四角い部屋に
外が見える窓 廊下が見える窓 机
監視されているような空間だった
私はシャワー トイレ 話し合いの時以外は
部屋の外には出れなかった。
もう児童相談所は嫌だ...。
色々あって児童相談所から家には
帰ったけれど 状況は変わることなく
虐待は続いた。 私がまた家出
しないように 私が起きてる間は
私を見張るように 親が起きていた。
でも私はみんなが寝ている間に
こっそりと家出するため バックに
色々詰めていた。
やっと家出ができた、けど遠くへ
離れるために 電車に乗らなければ
行けなかった。電車は怖くて苦手
だった...。だけどなんとか遠くの駅まで
これた。
色んなところで相談して 泊めてくれる人が
いたので よかったです。
メールで話をした時は 名前は女の人
みたいで 性別は言わなかった
会ってみると男の人で 怖かったけど
助かるなら 愛されるならと 家まで
ついていった 近くに警察がいたので
家出だとバレないよう この人に迷惑を
かけないようにと 話して 警察の前を
すぎた。
男の人の家に着くと 男の人と色々話をした
男の人は優しい人だった
「どうして君を助けたと思う?
僕は塾の先生をやってて 僕の教え子が
自殺をしてしまったんだ。僕はその子を救えなかった...だから君を助けたかったんだ。」
って
そしてここに着くまでの間も鳴っていたけど
電車に乗るため 携帯を持っていったため
親から 何件もの電話が来ていた。
ここで出なければ何か変わっていたの
かもしれない。私は出た。
親は今どこにいる 迎えに行くと言った。
私は来なくていいと言った自分で帰ると、
この男の人を巻き込むわけにはいかない。
私の逃げ道を作ってくれた人だから。
家に帰れば 親には怒られた 姉にも
兄にも怒られた。
親からの 殴る 蹴るはなくなったけど
言葉の暴力は痛かった。
親が暴力を振らなくなったかわりに
弟が毎日私にストレスと暴力を振るってきた。
中学校は今も行けていない...。
二年間も不登校になった。
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