私が12歳の時に姉が一過性の統合失調症になり、その後併発で重度のうつ病を患った。入院はしなかった。その日から徐々に姉の精神疾患の症状が激しく出てきて家族はそれに振り回されることになった。
明朝まで泣き叫び続けたり、深夜徘徊が当たり前で眠れないことはもちろん。そして、目の前で首を吊っているところを小学生ながら止めたりしていた。
それだけに留まらず、父や姉から八つ当たりをされるようになった。ストレスを抱えきれなくなったからだろう。1番弱い立場の私がそのはけ口となった。基本的に暴力と暴言だった。そういった日々を過ごした。中学になってからも続き、そこに同級生からの暴言暴力が加わった。今思えば、精神的に不安定な私を見て気味が悪かったのだろうと思う。
それでも、不登校にならずに中学生活を生き抜いた。家にいたくなかったのかもしれない。そして、中学2年生になってから、感情が感じられなくなった。「辛い」ことが分からなくなった。
高校生に進学し、2年生になった時に電車の中で倒れた。そのあと、母に病院に連れていかれ心療内科を紹介されそこで診断を受けた結果は「重度のストレスからくる症状」となった。それから、高校を通おうとすると電車の中で倒れることに恐怖を覚えたため、中退することになった。それでも、高校は卒業したいという気持ちになり、定時制の高校に編入学することになった。
17歳になった時、姉の病気は寛解に近づいたため家庭環境はかなり改善されるようになった。しかし、私の症状は改善されることはなかったが、電車の中で倒れるといったことはなくなった。
19歳の時に定時制の高校を卒業した。当時の私は心理学を勉強したいという気持ちになり、心理学専攻の大学に進学をした。
そして、入学した1ヶ月後に「PTSD」を患った。傷害事件に巻き込まれ、殺されかけたためだった。しかし、感情が感じなかったおかげで、人に対して恐怖心を持つことはなく、精神症状(フラッシャバック等)と身体症状(恐怖性麻痺)で済んだ程度だった。広場恐怖や予期不安は感じなかった。ところが、留年した。電車の中で倒れるという症状が再発したのが原因で行くに行けなくなったのだった。
それでも、私は何故か大学の卒業に向けて前を向き続けた。精神状態も不安定のため大学の同期からは「メンヘラだから近づくな」というレッテル?を貼られた。それでも前を向いて進んだ。
そして、今現在の私は
PTSDを寛解に至り
感情を喜怒哀楽を感じるようになり
就職先も決まり
大学卒業見込み
となった。
前を向き続けて、大きなたくさんの壁を乗り越えてようやくここまで行けた。
そして、やっと言える
「疲れた。あぁ、今日から少しずつ生きてもいいんだな。」
ちなみに今の悩みは
「恋愛ってどうすればいいんだ???」です。