物心がつく頃にはすでに一人ぼっちで、友達は図書室の本だけだった。
母によると幼年期の私は明るく何人か居た友達とも遊べていたようだが、小学校に入るとうまく友達の輪に入ることもできず、元々の内気な性格もあり結局友達は一人もできなかった。加えて深刻なイジメにあうことは幸いなかったが、それでも私はどこかオドオドした消極的な子供だったので、意地悪をしてくる子はいた。
そして学年が上がるごとに自分の性格、外見、名前すらも大嫌いになってきて、明るい子や可愛い子への劣等感や嫉妬、自己嫌悪、コンプレックス、そういったものを痛感しながら過ごした。だから小学校での楽しい思い出は一つもない。
6年間で一日誰とも会話せず下校することも数え切れないほどあったし、よく不登校にならなかったと思う。
中学校にあがってからは、友達になろうと声をかけてくれた子が一人いたお陰で、少しだけ明るくなれた。
それでも相変わらず自分から人に話しかけることもできなかったし、意地悪な子から意地悪をされることもあった。
高校は小中学の知り合いが殆ど居ない、制服が好みだった学校を選んだ。理由はやりたいことも特になかったし、自分のコンプレックスを刺激してくる同級生たちから距離を置きたかったからだ。
でも高校でも結局うまく人間関係を築くことが出来ず、とうとう不登校になった。高校入学と同時に携帯を与えられていたので、この時から本から携帯にどっぷり依存するようになった。朝起きてから深夜までインターネットを閲覧し続けて殆ど人と話さない日が増えた。
なんとか高校を卒業してからは、仕事は人と話す接客業ばかりを選んでいた。
理由は人と話さなければならない理由が生まれるから。例え仕事上でも、人と会話をするのは楽しかったし、人と話さざるを得ない「義務」が存在していることに私は安心を感じていた。
きっと私は人と話すのが好きなのだと思う。でも、プライベートでは1日誰とも会話しないのがザラだ。休みは引きこもって携帯をいじって1日が終わる。寂しいしつまらない。
でも、プライベートの私には他人に話しかける義務や理由は存在しない。自分に自信がないから人に接触することを思いとどまってしまう。
今まで人と話すことを避けてきたから日本人なのに日本語が下手くそだし、もしも話しかけた時に微妙な反応が返ってきたら?無視されたら?という妄想が頭をよぎり、結局無関心を装って通り過ぎてしまう。今までずっとそうやって生きてきた。だからいつも孤立している。
何とか自分を変えたくて今は海外に留学しているけど、未だに人に話しかけることができない。授業以外では一切誰とも喋れず、休みの日は寮に引きこもって一人で過ごしている。一人で過ごすことは嫌いじゃないけど、もっと他の人と話してみたい。でも、恥をかいたり傷つくことが怖い。どうして私は他の人達のように普通に人に話しかけて楽しく話す、仲良くなる、ということができないのだろう。
このままだと孤独死まっしぐらだろうなとぼんやり思う。
あなたの話が自分と重なり、気持ちが痛いほど伝わってきました。
一人で過ごすことは嫌いじゃないけど、
もっと人とちゃんと関わり合いたい。
でもこの人は私なんかと話していてもつまらないだろうなと思い、話しかけられずもやもやしてしまいます。
業務上の会話は義務なので堂々と話せますし緊張しませんが、呑み会などの雑談が本当に苦手でいつも苦しくて逃げ出したくなります。
あなたは留学するなど努力して、変わるきっかけを作ろうとしていて純粋に素敵だと思いました。
環境を変えれば簡単に自分の嫌な所が変わるわけじゃないのが難しいところですが、行動したことがあなたの自信になって少しでも何か良い風に変われるといいですね。
私も毎日少しずつでもがんばりたいなと思いました。