死にたい気持ちを抱えつつ、生きてきて数年経ちました。
今まで何度も訪れては、たくさんの小瓶に自分を重ねて慰めてもらっていました。今度は私の小瓶が誰かの元に届けば良いなと、書いてみています。
生き辛いのは人間に生まれた以上逃れられなくて、悪いことじゃない。
夏目漱石の『 草枕』で私が思い知ったことです。死にたい気持ちを持ってしまう自分を、責める必要はない。無理に死にたさを消さなくても良い。
誰もがどこかで窮屈さを抱えながら、社会は必死に回っています。
ストレスの多い一方で、心に溜まった憂鬱を遠くの人とこんな風に共有できて、慰め合える時代。なかなか、人間って凄いなあと思います。
今思い返してみると、スマホ1つで何もかも検索できる今、生きる理由や生きがいを探すにも、私はせっかちになっていたようです。
私の感じることは私にしか分からない。ネットに載っているわけもないし、生きる理由が足元に転がっているはずもない。
人生の序盤で、醍醐味である生きる意味を見つけてしまったら、逆につまらないと思いませんか?
精一杯生きて、人生の終わりに振り返って「ああ、これの為に生きてきたんだな」と思えたら充分じゃないかと、呑気に過ごしています。
辛いのならたくさんたくさん吐き出しましょう。紙でもいいし、小瓶を流すのも素敵です。
死にたいほど苦しいのに、一生懸命生きていて、素晴らしいです。どうかあなたがより多くの幸せを発見できますように。