僕は「社会は理不尽なものだ」という言葉を嘘だと思っている.パワハラで,いじめで自殺者がたくさん出ているのにも関わらず「割り切って,その社会を受け入れろ」という言葉を口にする大人たちのことが信じられない.「強く生きろ」ってよく言われるけど,そんなことできたら弱い僕らは,悩んだり自殺したりする人々は苦労などしないのだ.騙したほうじゃなくて騙されたほうが悪いんだよな?ドラえもんでいう,ジャイアンじゃなくてのび太が悪いんだよな?理不尽を正当化するなんていじめているのと同じじゃないか.多数派の暴力だよ.正義の味方か悪者かは知らないがとりあえず力の強い者にいつもコバンザメのようにひっついて機嫌をうまくとり,弱い者を見つけたらこぞって袋叩きにする.社会の一員として恥ずかしくないのか.こういう大人たちが創った社会だから,学校のいじめもなくなるはずない.本当にそれが正しいと思っているのか.本当にそのままでいいと思っているのか.思考を止めるのは楽だ.でもそれで命を落とす人が出てしまっては本末転倒ではないか.「尊い命」,「かけがえのない命」などという言葉を口にする資格がある人なんていまの日本の社会にどれくらいいるのだろうか.本気で悩んでいる人に「死なないで」,「生きて」と声をかける前にこの理不尽な社会を少しでも風通しのよいものにしないと.そもそも,理不尽な社会を受け入れるために発せられる言葉そのものがいつの間にか皆が望んでいない理不尽な社会を創りだしているのではないか.仕事も本来は人を喜ばせるものであるはずなのに.一人一人の命を,個性を軽んじてはいないか.僕は「社会は理不尽なものだ」という言葉を疑うための苦労は惜しまないつもりだ.思考を止めない限り,疑い続ける限り,いつか常識を突破できる日が来ると信じている.この常識という言葉に僕はこれまで何度苦しめられてきたことか.そもそも,まわりの大人たちが言う常識というのが一体なんなのか,小さい頃からよくわからないのだが.まわりの大人が動かないのなら,自ら頑張って居心地のいい場所を創るしかない.小さなことから少しずつ.その場所がたとえ日本じゃなかったとしてもね.日本にいる間,僕はこれを諦めたくない.これを諦めたときには,僕は日本にいないだろうね.日本にいた場合,僕の思考はおそらく止まってしまっているだろうね.どれだけ科学技術が発展し,暮らしが豊かになっても,心は貧しくなる一方だよ.僕の地球でのミッションは一つ,本当の幸せを,本当の幸せを感じる心を手に入れること.これは狭い日本の社会の中で果たすべきミッションではない.世界規模での,地球規模で果たすべきミッションである.思考がぶっ飛んでることをうまく活かして,諦めずに世界のどこかに桃源郷を創ることが死ぬまでの目標の一つかな.これまで僕をさんざんひどい目に合わせてきた日本にそれを創る可能性は低いね.もう一度言うけど,僕は思考が止まるまでは「この理不尽な社会を受け入れたら負け」だと思い続け,なおかつ割り切った"ふり"をして生き続けるつもりだ.極端な話,自殺者がたくさん出ている社会は人殺しと同じだと考えているから.余談ながら,ドラマ「半沢直樹」の視聴率が高かったのはそれだけこの日本の社会が理不尽なものだと思っている人が多いということなのでは?でも惜しいことに,ほとんどの大人が観て終わり.「こんなの現実の社会では通用しない」というとってつけたような言い訳で終わり.小さなところからでいいから,変えていこうと思わないのかな.いや,もう理不尽なことばかりで疲れてしまってそのことを考える元気すら奪われてしまっているのかもしれないな.こんな戯言がいつの日か日本から消えることを祈っている.それが日本への唯一の希望だ.よくよく考えたら,これまで夢を奪ってきたのも大人だったな.現に,僕の「新幹線の運転士」になりたいという夢も大人に奪われたしね.だから信用したくても信用できないんだよ.僕はそんな日本の大人にならないように英語頑張って勉強します
そうですね。私も本当にそう思います。
ある一定の層だけが利を得て、下を作る。学生もですが、社会人は本当に馬鹿みたいに災害が起きても会社に行こうとします。インフラは動いていて当たり前。何故なら自分達も休まずに働いているから。
画一的な規律に従って、半ば洗脳のようです。もちろん、内部では多くの人が疑問を持っていますが。
外国だから確実に居心地がいいかと聞かれたら、国や住む場所で違うと思いますが、ヨーロッパなどは日本よりは余裕はあるんじゃないでしょうか。
日本の会社員は本当に歯車のようです。技術面では先進国であっても、労働者の幸福度は高くありません。
頑張って下さい。諦めないでください。日本が変わるのはまだ先だと思います。
私も、理不尽を受け入れていた大人の1人ですが、そのせいでメンタルをやられたので絶対になあなあにしてはいけません。