そんなに大した数じゃないと思いますが昔そんな人間でした。そこから自分は「被害者で理解されない人間」ではなくて「加害者で理解する側の人間」なんだと気がついて現在は話している内容のウラ(著書や論文、著者や考え方、人から聞いて実際に見たこと)などがないことはほとんど口にしなくなりました。全てではないですが、ほとんどそんな感じです。
ウソの加害者だと気がついたときとても苦しみました、眠りにつけるまで泣きもがいていたという状況でした。
今でもその反省が生きていて、自分を監視しているような言葉を選ぶような、人と議論する以外は罪を背負っているなというふうです。まあ、うその内容にもよりますけれども、心がけています。