私は死ぬことに対して否定も肯定もしません。
どちらかと言えば、肯定派かもしれませんが。
ただ、若年層が死にたいと思わなくなる世の中にしたいと思っています。
死にたいと思う人が一定数いるのは、必然的だからです。
日本は、自由のようで自由が全くないからです。
戦後、戦勝国であるアメリカのGHQが日本の基礎を作り変えました。
識字率が高く、勤勉かつ集団行動が得意な日本人は良い労働力でした。
そこに学校教育で「正解しか許さない教育」をしていきました。
考える力を奪う「正しく処理する人間製造工場」です。
高度成長期まではそのやり方でも問題ありませんでした。
作業工程では、今のAIのような「正しく処理する人材」が
必要だったからです。
海外から原料が届き、加工して輸出する。
安い人件費で高品質の物を大量生産する。
世界からの需要があり、経済的に豊かになっていきました。
現在までの細かい部分は割愛します。
現在ではどうでしょうか?
日本人の人件費は高くなり、物作りが成り立つのは
付加価値の高い一品ものがほとんどです。
製造は機械やAIに任せて、設計や計画、営業といった
「正解のない」仕事をしないと食べていけません。
しかし、日本の教育は正解を与える
「正しく処理する人間製造工場」のままなのです。
ここに真の目的があります。
考える力を育てたくないのです。
考える力が身についてしまうと、今の世の中に疑問を
もってしまうからです。
そうなると操れません。
就活もしなくなり、自営業を始めます。
独り暮らしをやめ、家族との仲を再構築しようとします。
不審者がいなくなるように近所づきあいをします。
家族や親類との仲が良くなれば、子供も預かって
もらえたり、親の老後の助けもみんなで出来ます。
親世代、祖父母世代が子供と関わる機会が増え、
自らが動くことで認知症のリスクが減ります。
家賃の支出が減り、過度な介護費や育児への負担が
減ります。
夫婦間での争いも減り、落ち着いた子供が増えるでしょう。
こういった考えを人に話すと「無理だ。」「出来ない。」
と怒りを込めて言われます。
それは自分がやってこなかったことを責められているように感じるからです。
いかに無理だったかを力説する人もいるかもしれません。
「TEDx 植松努」で検索して見れる動画をオススメします。
負の考えが世の中に蔓延していることが理解出来ます。
もし、自分に自信がない場合はお金が自信を与えてくれるかもしれません。
ユダヤの教えで
「お金は道具だ。道具に支配される者はいない。だから、道具は出来るだけ多く持っている方がいい。」
とあります。
お金に支配されないために、お金のかからない生活を考えるか、お金を多く獲得する方法を考える必要があります。
ユダヤの教えは、多く獲得することを考えよということです。
「金持ち父さん貧乏父さん」という本で、お金について学べます。
お金の知識がないと、お金を与えてくれる人や生活を握っている人の言いなりになるしかないからです。
世の中を知り、自由になれる可能性が感じられれば、
「死にたい」より「勿体ない」になってきます。
人は可能性の塊です。
1人に1つ与えられた脳で考えられることが唯一
何の代償もなく出来る自由です。
その考えから、物理的な自由を勝ち取っていくのです。
未来ある貴方に道が拓けますように。
失礼します。