家族内で揉め事が起こり、なかなか沈静化しない時、気付いたら『避雷針』の役割をこなしている
私自身に悪意が向くように他メンバーを団結させるのだ
論点をすり替え、必要ならば煽り、問題点が認識された頃を見計らいながら軌道修正する
すると、結果的に解決するのだ
私の狙いは、絶対悪に意識を向けさせた上でそれぞれの集中力を高めることにあると分析している
煽動方法はケースバイケースだけれど、共通するのは自虐要素を含めずに言葉を選んでいる点だ
そして、全てが終わった後で、特に意図せず動いていた自分に気が付くのだ
家族だけを対象としているのは分かっているが、いつからこの癖が出始めたかは覚えていない
自覚して十余年、そうならないように何度も努力したけれど無駄だった
そのうちに、解決するなら何でも良いかと思うようになった
随分と痛みを感じる言葉を聞いてきた、忘れられずに今でものたうち回ることもある、でも、最終的に解決するならばという諦めなのかもしれない
気付く度に、振り返る度に、実母に「ぶち壊し屋だね」と称された幼いわたしが泣いている気がする
しかし、そんな自分の利用法をどこか誇る気持ちと、何よりこのやり方が馴染み深いのだ
コスパは悪いが実績はある
最善じゃないと知っているけれど、匂わせたり物や周囲に八つ当たりしないでいられる間はまだ大丈夫だと思う
騙し騙し延ばしていけば、いつかは痛い言葉を忘れられるだろうか