電車の中、皆疲れている。何かを得るためには
力が必要。時間と場所を動かす必要がある。
つまり行動すること。多分、違う。常識と真実が
乖離しているのではないか。仏教に煩悩即菩提と
いう言葉がある。噛み砕いて言えば感謝する、
有難いと思うこと。今辛いことがあってもいつか
の未来には幸せに変わっている。あの時があった
から今有難いと思える。未来から過去を見ている
自分を今俯瞰している。時間の移動。アートに
触れる。一瞬にしてフィールドが入れ替わる感覚。
初めての土地に踏み入れる旅のような。場所の
移動。変化とは行動することではない。時間と
場所は今ここでも移動できる。
どんどん素直に正直になろう。場所の移動は
あまり馴染みがない気がする。アートを鑑賞
することはあるが、自分でフィールド作りを
するというのはどういうことだろう。既存の
何かに頼ることはできるけれど。かろうじて
文章を書く時は世界観のようなものが立ち
上がる気がする。
変化とは、今ここでの時空間の移動である。
未来にいたい空間をイメージして、あの時が
あったからここにいるんだと思っている自分を
思い描く。ただ、気になるのが、鏡の存在。
誰かといるのは楽しいけれど、特に利益を追求
する立場にいる人の近くにいるとすごく息苦しい。
私の中にこの世界では、行動しない人、結果を
出せない人は必要ないというものさしも存在
していて、それが相手を通じて訴えて来る。
ストレスというやつ。トラウマが存在している
のも一つ。似たようなフラッシュバックは何度も
起こっている。克服したつもりで、何度も来る。
結果が出ていない時、自分にまず言うことは、
お前なんかいらない。なぜこんなに酷いことを
言ってしまうのだろう。完璧な物だけ、必要な
物だけしかいらないと考えている。無駄な物は
一切必要ないと。何かを極めるということは、
そういうことだと思っていた。もしかすると
間違っているのかもしれない。断捨離。物を
大事にすること。絶対的、客観的な答えが
あると考えている。それが、何が無駄で完璧
かを仕分けてさせている。一見無駄な物が
必ずしもそうとは限らない。煩悩即菩提。
上を目指すこと、結果を出すこと。壁に
ぶつかる。その時に、短絡的に自分を責める
のか。最終的に幸せになれば、どんなことも
全て良かったと思えるようになる。たとえ
今世では叶わなくても。答えがあるとすれば
そういうことだ。結果が出ないなりに、今
できることはある。こうなりたいという自分が
あるとすれば、ゆっくりと自分の言葉で話し、
穏やかな笑顔で毎日を過ごすこと、安全な
場所から大海を眺めているような気持ちで
いること。幸せな未来の自分があの時が
あって良かったと心から思っている今を
過ごすこと。
美術鑑賞、
本当はわりと楽しかった。
あんなに行きまくっていたのが今では嘘みたいだ。
ただあの時は、ただただ一緒に居たかっただけだったんだよなーって。
色々言ってしまったけど、よくよく思い出してみたら あれはあれで楽しかったのかもしれない。
もう終わるとさ、気持ちが感情がさっぱりし過ぎて何も感じなくなる、嘘みたいに。
私があの人との今までの時間を否定したみたいに受けとられてしまうかもなって思ってはいるけれど、あの人と戻る気はさらさらない。
最後に、ありがとうって言ったのは
あの人の味方でいるのはもう辞めようって思ったから。
関係なんか修復もしたくないし、味方にもならない。
あの人を信じきれなかったのは私の弱さでもあるけれど、あの人の浮ついた気持ちを感じれば感じるほど離れたくて仕方がなかった。
いつか振ってやろうって思いながら付き合ったのも事実。
私は性格が悪いから、あの人と別れた時は嬉しかった。振ってやるって思いながらも付き合っていた、これは私のちょっとした復讐。
やけに正直すぎる男は嫌いだ。
嘘も下手、なのに嘘はつく。
女性が好き、なのにあまり興味ないフリだけはする…わりには女性を見たりする。
他にも色々あった。
でももう終わったから どうでもいい。
内心、もう好きじゃないと自覚した。
というよりかだいぶ前から実は冷めてはいた。
一緒にいてもしょうがない感はあった。
あの人といても正直しっくり来なかったのは事実。やっぱり合わなかったのだろう。
未来になれば、あぁそういえばあんなことあったなーって遠い記憶になっているだろう。
もう忘れているかも。