久しぶりにジョギングに出掛ける気分になった。
週に数回は走っていたのに、風邪を引いてから
一ヶ月くらい走っていなかった。やはり腰は重い。
いつもは夜走っているが、今日は早朝。ゆっくり
歩みを進めて行く。折り返し地点に神社がある。
階段を上り、お参りをして向こう側の階段から
降りようとしたら見つからない。記憶違いだった
ようで元の階段を降りることに。すると、途中から
二手に分かれて向こう側に繋がっていた。今この
先の人生に靄がかかっていて、どう進んでよいか
分からなくなっている。別の道に方向転換した方が
よいのか。そうではないらしい。今の道を進んで
行くと自然と分かれ道が現れて導かれると。そんな
気がした。いい感じに汗をかいてお風呂に入り、
さっぱりする。さて本題へ。自分と向き合う。改めて
やろうとすると難しい。自分がどういう人生を進み
たいのか。要は、別の人を見つけて結婚出産子育て
介護して人生を終えるのか。今の結婚も出産もない
であろう人、倫理に反しているわけではないが、世間
一般から見たら逸脱した関係、でも大切なことを
生きている実感として腑に落としてくれる特別な人の
側にいる人生を選ぶのか。それとも生涯一人で
ひっそりと暮らしていく人生を選ぶのか。大切な人
に対しては相手は私のことを遊びとしてしか捉えて
いなかったらどうしようという不安。その不安が
ある時点で諦めた方がいい気がする。頭ではそう
思う。そもそも論点はここなんだろうか。自己実現
はどこへ行ったのだろう。三年前心機一転夢を持って
継続してきたことは、もちろん今も続けているが、
現実的な動きが見えて来ない。もはや本当に自分は
これをやりたいんだろうかと疑問すら抱く始末。
迷っている。何を現実化したいのか。分からない。
本当は分かってる、傷付くのが恐いだけ。訳が
分からない。騙されてるんだろう。本当の私は
どこにいる?解放されたい。檻に閉じ込められて
いるよう。旅をしたり、たわいもない話で笑ったり、
作品を見て感動したり、シンクロを感じたり、そう
いう瞬間に幸せを感じる。それは狙っているわけ
ではない。何でそう思うんだろう。本当に理由が
分からない。側にいたい。これを懐かしい感じと
呼ぶのだろうか。純粋な子供のような。意味が
分からない。自己実現なんてどうでもいい。
あなたを幸せにしたい。待って。現実化する前に
抵抗が生じる。なぜ。重い。違う。夢物語?そう、
現実には無理だよね、一緒にいることは。私はどう
やって生きていったらいい?何で無理だと思うの。
だっておかしいじゃん、常識ではあり得ないよ。
ああそう思ってたんだ。無理だって。それにすら
気付いてなかった。現在地が分かった。最近自分の
状態について変わったことがある、たまたまかも
しれないが人の目があんなに気になっていたのに、
その重圧が限りなく薄まっている。急に沸き起こる
時もあるけれど。それは自我というか、相対的な
幸福を欲している時なんだと実感として分かり
始めたのかもしれない。絶対的な幸福の片鱗が見え
始めたのかもしれない。