最近、希望が湧かない。何が足りない。教えて。
新しさが圧倒的に足りない。続けることで見えて
来ることがある。でも絶望も同じくらいある。
このまま進むのか、何か新しい道を探すべきか。
続けることが新しい気付きを与えてくれるが、
毎回絞り出すような作業でとても辛い。それ
でも頑張っていると、無意識が限界と訴え
始める。それはなぜか。私は頑張って生きて
いるよ。最近、対症療法について考える。必要
だけど、どこか虚しさ、不足感。外側から
入れる、なくなる、補充する。しまいには
激しい疲労。休むということ。それも枯渇
するから必要になる。宗教的な思想とかでは
なく、現実に根を下ろしたい。何かに操られて
いるような気がする。自由を自分で取り上げて
いる。情報。必要だけど、やはり外側のもの
である。恒常反応が生命には備わっている。
ちゃんと見えていないと、反応する、正常に。
教えてくれている。反応が激しいと動揺する。
声が聞こえなくなる。先が見えなくなる。
最大のピンチに遭う。自分のいつもの能力を
発揮できないような状況。自分の中で激しく
炎上し、動揺し、取り乱したくなる。それも
正常な反応。止める必要はない。外側でどんな
ことがあって、内側でどんな反応が起ころう
とも、それは当たり前。生きていると思って
いた。でも、心の声を聞いたら、私は物じゃ
ないと言われた。生きたいと。この物質世界
にいるということは、死だったのだ。この
世界の死は本当の意味での生だ。死ぬこと
が怖いなんて言うけれど、今死んでいるので
あって、先が見えないから怖いんじゃなくて
死の中にいるから怖いのだ。死は地獄でも
天国でもなくこの世界だ。命が物として扱わ
れる。戻りたい。生きたい。なぜ生死が
分かれている世界にいるんだろうか。何が
学べるのだろうか。生きるということが
分かるのがそんなに大事なのだろうか。
悪夢の中にいるようだ。肉体を超えた
領域があると信じている。魂などと擬人化
したい気持ちもあるが、完全無秩序の世界
なのかもしれない。物であるということは
秩序があるということだ。ホームシックの
よう、帰りたい。エゴにも善悪の選択にも
疲れた。私は物じゃない。役に立つために
生きているわけではない。何でもないもの
になりたい。自殺したいわけではない。
必死で何のために生きるのか、どうやったら
役に立てるのかを探してきたのが、糸が急に
切れたようになった。