私の愛する主なる神様、穏やかな日々を過ごしていますか?私はなんとか生きています。あなたと出会って、もうすぐ一年が経とうとしています。私は何か変われたでしょうか、あなたに近づけたでしょうか、私は、あなたともう一度密な関わりを持つチャンスが与えられるのでしょうか。神を信じるものは多くの場合常に受け身であると私は勝手にみております。神の愛を信じ、神の声を聞き、能動的に動くと、世界が変わります。例として、キング牧師やマザーテレサがおられますね。自分の信じる世界を自分の手で作り出そうとする勇気を持った素晴らしい方々でした。生き様はあまりに美しく目が潰れてしまうようで…話が逸れました、すみません。今私は悩んでいるのであなたに対して祈り、語りかけています。無責任で勝手なものです。楽しい時は貴方のことを忘れたように振る舞い、ふとした瞬間思い出して、人生すべてを使って貴方の目の中に飛び込まんと画策してしまうのです。悩んでいます。人生に。どうしたらいいのでしょう。何をすれば、注視していただけるのでしょう。マザーテレサは「神の声に従っただけです」と仰っていました。マザーは晩年神の声が聞こえなくなり、苦悩していたようです。最初から聞こえない私はそれこそ暗闇の中荊棘の道を素足で歩んでいるようなものです。私はどうすれば神に、貴方に愛されるのでしょう。アカデミックな道に進む?エコノミーの世界で成功する?特異の活動をしてある一定分野での注目を浴びる?神の声が聞きたいです。私には何も聞こえません。信心が足りないのでしょうか、きっとそうですね、足りないのでしょう。私には覚悟も信心もないです。全てを捨て去り、神に身を委ねる道を選ぶ…。狡く、いえ、私はセーフティネットを貼り、背水の陣には決してしません、後ろが水どころかマグマのようになっている人たちじゃないと