小学生のころ、お母さんとお父さんが離婚した。
別れそうになっていた頃、わたしたちは兄妹もみんな、おかあさんにおばあちゃん家にしばらく連れられた。でも、さみしくて。
お母さんに、何度も帰ろうと言ったし、やっと家に帰れたころ、お父さんがお家にいて、お父さんは怖かったから、直接的に言えるわけじゃなかったけど、すぐにお父さんのもとに行った。
お母さんが浮気をしたんだ。
でもお母さんが全部悪かったわけじゃない。お父さんも悪いとこがあった。内気なお母さんは何も言えなくて、支えてくれる人が欲しかったのかな。今は、そう思えるよ。
でも、すごくさみしかった。
だって、お父さんが単身赴任で平日は県外に行ってる中、そのお母さんが好意を寄せてる人が家に来てたんだ、頻繁に。小学生のわたしでも分かった。よくないことだって。わたしは、いやで、いやで。でもわたしの弟妹は、その人になついていて。でもこんなこと誰にも言えなくて、ひとりぼっちだった。
何度、その人にしんでほしいって思ったか。ほんとうはつらかった。でも、誰にも言えなかった。家に来るその人にむかついて、さみしくて、ひとりでいっぱい泣いた。
これ以上ひとりになりたくなくて、外では人の顔色ばっかり伺うようになった。自分のことをうまく話せなくなった。それが今はとてもかなしい。
今でも、相手にきもちを伝えるのは怖くて、また、ひとりぼっちになってしまうんじゃないかって思って、伝える時に泣いてしまう。ほんとうは、大人になった今でも、ずっと、こわいんだよ。
わたしが、きらわれる存在なんじゃないか
わたしのこと すきでいてくれる人 いるのかな
わたしの言ってること ぜんぶ間違ってるんじゃないか
そうじゃないって思っても、本当はそんな気持ちが心のそこにあって。悩んでいること、本当の本当のわたし、すこしだけ、出来た友だちの前でも出せずにいるんだ。でもこれって、ふとしたとき、周りに誰もいなくてとってもさみしいんだよ。
それから、お母さんとお父さんは、わたしが6年生のころに離婚した。お父さんが、離婚するって、別々に暮らすって話してくれて、たくさん泣いた。お父さんはずっとぬぐってくれた。かなしかった。お父さんは、わたしたち弟妹はお父さんに引き取られる、お母さんとはべつべつに暮らすんだと言った。ずっとお母さんといたから、そして同じ性別で安心できるから、わたしはお母さんと暮らしたいといったけど、金銭的なことも考えて、お父さんに引き取られた。
別々に暮らす前、お父さんに連れられて、離婚した後いっしょに暮らすひとたちに会った。女の人と、その人の子供2人。また、わたしの兄妹はすぐになついたけど、わたしはいやで、帰りたくて、泣いた。「帰るか?」ってお父さんに言われたけど、そんな場を壊すこと、できるわけないよ。
家に帰って、お母さんがいた。お母さんはどんな気持ちだったんだろう。わたし、どうすればよかったの?あっちも、こっちも、どうすればよかったのか、わからないよ
それから、別々に暮らし、お父さんはその人と再婚。いっしょに暮らすことになった。
連れ子の2人は、一個上のお姉ちゃんと、一個下の弟。わたしは3人弟妹だったから、一気に5人兄弟になった。
中学生になり、一個上のお姉ちゃんは家のお母さんにいろんなことを頼っていて。わたしは心を開けるはずもなく、甘えられる「お母さん」がいることが、すごくうらやましかった。
高校に入って、学校を休みがちになった。それまで、人の前では明るかったわたしが、これまでしたことのない、学校を休むということを何度もするようになったせいか、だんだん引きこもりのようになった。人に接すれば、明るく振る舞っていたけど、ひとりで家にいる時の自分が、本当だった。それから、これまでそんなに考えてこなかった、両親の離婚 それに至るまで 再婚のことなどを考えて、うつのようになった。お母さんとの関係も悪化した。
「どうすればいいの?」
学校に行かないわたしにお母さんが言った。わたしだって、休むことで勉強もどんどん分からなくなるし、訳も分からず休みがちなわたしからは友達も離れていく気がして、どうしていいか分からなかった。
あの時は、ほんとうにつらかった。
ごめんなさいと思いながらも、みんなが学校や仕事にいって、誰に何も言われずに過ごせるその時が一番、自分のままでいられて、しあわせだった。
なんとか卒業はできたけど、
あまり学校に行ってないのに進学して。
わたしの中で、ずっと引っかかってた。
合格した専門学校に入って、
新しい環境になったからがんばろうと思っても
2・3ヶ月すると、また 休みがちになった。
もう、休んだ後、どうしたの?って聞かれて
ごまかすのがしんどかった。
結局、単位が足りなくなって、一年留年。
お父さんやお母さんに申し訳ないけど、ほっとした。やっと、留年できるって。休んできたのに卒業して進学したこと、そのばちをやっと受けれると思って、ほっとしたんだ。
そこで、学校の先生からカウンセリングをおすすめされた。今も通っているところ。先生にあって初めて、自分の思っていることを大人の人に肯定してもらえた。わたしが思ってきたことを、変じゃないよ、間違ってないよ、当たり前だよって言ってもらえた。それまでわたしにとって、両親が大人の全てだったから、自分の存在を認めてもらえて、すっごくうれしかったんだ。
先生がいなかったら、わたし、しんでたと思うよ。しにたかった。それくらい、こころの成長を助けてくれたひと。
でも時々ね、家に味方がいないこと、さみしく思うんだ。お母さんとは話してないよ。妹とは、仲が良かったのに、最近はよく喧嘩するのになった。その度に、やっぱりわたしが間違ってるんじゃないかって、全部 わたしのせいなんじゃないかって 不安になるんだよ。家族が全部じゃなくても、家に居場所がないことは、とっても さみしいことだよ。
私も中1で両親が離婚した。ほんの少し前までは絵に描いたような普通の家庭だった。原因は母親の宗教。父親はそれが許せなかった。
子供を親戚に預けて1週間くらい2人で話し合ったこともあったらしい。
ただ、父親の単身赴任から母親はさらにのめり込んだ。父親が帰ってくるたびに夜中に2人で話し合ってるのを聞いた。離婚する前、無理言って父親が帰ってきた。代わりに母親が出て行かざるを得なくなった。
姉は父親が嫌いだからその数ヶ月は地獄だった。
離婚が決まってどっちに行くか選べと言われた。姉は当然母親。私は選べなかった。選べなかったから姉を選んだ。姉と離れたくなかった。
母親の方に行くことを伝えた時の父親の寂しそうな声と背中を忘れることはない。
今でもこの選択は自分を苦しめる。逃げたって。父親を選ばなかったって。
そのあとの生活も親は姉につきっきり、私は祖父母の前でかわいい孫を演じるだけ。
気づいたら本音の吐き出し方がわからなくなったてた。頼り方が下手になってた。
なんか昔みたいにならないのが悲しい。