頭の整理。
愛されたいという希望。
一方で愛は欲するかそうでないかに関わらず、枠も条件も存在せず、常に溢れている。
愛するとは一体何だろう。
愛に近づくということ。
愛されたいという思いすら手放すこと。
愛したいという思いも。
愛されたいも愛したいも、意思に関わらず生まれてくるもの。
ただ愛したいし、愛されたい。
何かを通じて目に見えるようになっている。
愛という状態と、愛したい愛されたいという思いはどう関係しているの。
愛を知る。
生まれたばかりの頃は愛そのものだった。
成長するにつれ、愛を見失う。
そして、湧き上がってくる愛したい愛されたいという思いによって初めて愛を知る。
愛であることと、愛が何かを知ることは違っている。
愛されたい愛したいという思いは、愛を知るために生まれた。
それを知った今、その思いすらも手放してよいのだ。
愛されようとしなくていいし、愛そうとしなくてもよい。
ただそういう思いが湧き上がっているだけ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
難しいですね。
自分にはまだなんだかよく分かりません。
愛をイマイチ理解出来ていない人間(わたし)が容易く言葉にしちゃいけないなと思っているので他人には愛という言葉を発することはありません。
愛ってなんでしょうね。求めてしまうことを愛というのなら、それはただの自己の欲ですかね。
でも自分が誰かを愛することを辞めたら、愛を持って接しようとすら人は思えなくなってしまうのではないかなとも思います。
だから愛したい、という欲は愛なのではないかなと思います。
手放すことも愛だと捉えることも時にはあるでしょうね。
人って、その時になってみないと分からない生き物なんだろうなと思いました。
ななしさん
あえて、この時点まで
ぐるぐるしたのだから
思考を
手放してみては?
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください