子供の頃、「もう小学生だろ」「もう中学生だろ」「もう高校生だろ」と叱責されながら育った。
「そんなこともできないなら、学校に行く必要はないだろう」と、何度も教科書を破られた。
「学校に行かせてください」と土下座をしたこともある。
習っていたスポーツの試合で負けて帰ると、怒られた。
理不尽なことで何度も怒られた。蹴られた。叩かれた。
夜中に外に放り出されることもあった。
母ですら、父の怒りを制止することができず、私たち子供はされるがまま。
常に父の顔色を伺い、怒らせないようにと気を遣った。
そして何度も「死んでくれ」と思った。
「自分は完璧でなければいけない」「何でもできて当たり前」
そんな、一種の強迫観念に取りつかれて、両親はもちろん、友人や恋人にも弱音を吐いたことがほとんどない。
私は完璧で強くなきゃいけないんだ
それの考え方が今、もうすぐ30歳を迎えようとしているにも関わらず、私を苦しめる。
「できると思っていたのに」「できないならお前なんか要らない」
いつかそう言われるような気がして、「できない」が言えない。
背伸びして必死でできるようにしてきたから、
いつの間にか、何の根拠もないのに「自分にはできる」と思い込むようになってしまった。
「できなくてもいいから、ありのままでいいから」
今までずっとそう言われたかった。
いつかできないことがばれて、人が離れていってしまう不安と恐怖。
“私”を愛してくれる存在の必要性。
そのせいで、恋人ができても他の異性も気になってしまう。
恋人のことが嫌いなわけじゃない。
ただ、たくさんの人に認められて、自分に価値があることを知りたかった。
一つじゃ足りない。満たされない。
両親に満たしてもらえなかった、「受容」という部分だろうか。
「私」を受け入れ、愛してくれる存在がほしい。
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ななしさん
完璧な人間なんていないのに。
そうでなくても欠陥だらけで、年取ると出来てたことも出来なくなるのに。
出来ない奴はいらないなんて言う親は、老後自由に動けなくなったら自殺でもしてくれるんだろうかと思う。
ななしさん
この国は、一定の基準に達せなかった人たちには容赦なく苦痛を強います。勉強して当たり前、就職して当たり前、結婚して当たり前、子供がいて当たり前。
最近は、そういったことに関して緩和されてるようなイメージがありますけど、たいていは建前で、いまだにそういった価値観が幅をきかせてる。
あなたは、できて当たり前という価値観を押し付けられて育ち、今もその呪縛から抜け出せない。ずっとそんなふうにしてたら、できないなんて言いづらくなって当然ですよ。
でも、それを隠し続ける限りは、いつか捨てられるという恐怖もなくならないと思います。きっと大変だろうけど、弱音をはいて、楽にいられる自分を見つけてください。
それを許容してくれる人たちに出会えますように。
ななしさん
私は「もう50だろ」と言われます。
それを言ってくる人とはその後一切関わりません。無視。
「まだ50よ」と言ってくれる人の方が多いし優しい。
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