愛されたい、愛したい。現実社会から一歩退きたい。
見返りを求めない、金銭を介さない、ボランティアをしたい。
なぜこんなことを思うか。
愛している人がいるから。
でも、その人と一緒になることは、社会に背を向けることと同じ。
出産も親孝行も今まで築いてきた人間関係も断ち切る覚悟がないといけない。
そこまでしてどうして。理性ではあり得ない選択。
魂が駆り立てるのだ。ただの勘違いかもしれない。最悪な結果になるかもしれない。
私には普通の人生が窮屈に感じる。ささやかな幸せと苦労の連続。
ただの出来損ないかもしれない。
何となく愛すのではなく、本気で愛したい。自分の周りは愛するものでいっぱいにしたい。
愛を遠ざけるものは分別。常識。
自分を愛することと誰かを愛することと何かを愛することは全く同じ。
愛はどこにでもある。生まれも消えもしない。
自分が何かを創造しているというのは錯覚である。全ては既に揃っている。
自分という器を通過しているだけだ。
愛が自分を通過して顕れる。生き方はそうでありたい。
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ななしさん
自己責任。
これよ。
ななしさん
社会に背を向ける⁈ 愛する人と一緒なれないご事情がおありなのでせね。。お辛いですね。何も気にせずに、鳥のように、自由に生きたいように生きていける道、、なんとかして切り開いて欲しいです。。
名前のない小瓶
愛している人と一緒になって裏切られない保証はあるの?
裏切られたときのことも考えてる?
そんなことも考えられないぐらい奮い立ってるなら思った道をいけばいいよ
自分は常識に縛られて生きることしかできないからあなたがうらやましい。
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