苦しい。傷付ける人がいるから。
憎しみの連鎖を断ち切らなければ。
どうしても。
命は綺麗だ。どんなに傷付いても生きようとする。穢れのない美しいもの。
何の評価もない、真っ新な、生まれも滅びもしない、何者かになる前のもの。
だからこそ、この肉体が不浄に感じてしまう。
評価し、偏見を持ち、生まれて死に、何者かでいなくてはならない。
生まれてから死ぬまで続くものである。
命と肉体。切っても切り離せないもの。
どちらか一方では認識できないのかもしれない。
ただ肉体の苦しみを抱えながら、命の美しさを尊ぶことがどうやってできるのだろうか。
苦しい時に尊ぶことが。
常に尊べなくてもいい?
常に苦しかったら?
何に苦しんでいるの?
傷付ける人に怒りと憎しみを抱くことに。傷付けられた自分の不甲斐なさに。
そんな人を尊んでどうするの?
どんな人の命も美しい。
違うの?
自分の思い通りにならないという理由で怒りをぶつけるのは、肉体の不浄だ。苦しみである。
どんな不浄がありながらも、命は美しい。肉体と区別しなければ命は見えない。
混同すると目に見えない命は肉体の苦しみに取り込まれる。
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ななしさん
私は、不浄=遊び、と捉えてる
キレイなものしかない天界(?)からすると、不浄こそ、刺激的なアトラクションみたいなものだと思う。
わたしも、命は紛れもなく美しいものだと思ってる
不浄を少しずつ消していくのが人生というゲームの目的と感じてる。
だから
被害者意識から来る、怒り、悲しみ、しんどさとか
傲慢さから来る、依存心、ズルさ、優越感、劣等感とか
そういう不浄っぽい感情が出た時は
「あ~、まだ遊びたいんだね、自分」
と、無心で眺めている
不浄に飲まれたらいかんよね
お互い気をつけましょ
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