父親が亡くなって半年経った。正直好きではない父親だった。母親が離婚するといってアパートに来たときも母親の肩をもった
別居中に警察から倒れたときいて病院に行こうとしたが母親に止められ顔を見ることができなかった。親父は糖尿病だったと伝えられただけだった。
父親は糖尿病の治療中に無理矢理退院した。好きなキャンピングカーのイベントに行きたかったらしいと父親の友人から聞いた
また警察から連絡がきた。倒れたかと思ったら亡くなっていたとの連絡だった。
糖尿病なのにインスリンを打たずに生活しそのまま亡くなったらしい。素っぴんの死に顔は死斑がひどいと言われ警察にも葬儀屋にも見ないほうがといわれた。
久々に帰った実家にはしらない子供の写真があった。近所の子供らしい。よくキャンピングカーで子供とその両親とで出掛けてたらしい。私は誘われもしなかったのに、そのキャンピングカーに一度も乗ったことがないのにと悲しくなった
一日絶って葬儀場の冷蔵庫のような霊安室で対面した。死斑を隠すために厚くメイクがしてあった。係員に頭を撫でてあげてくださいと言われたが撫でられなかった。母親は泣きながら撫でていた。受け止められず触れなかった
葬儀の支度はほとんど母親がしていた。私は頷くだけだった。中規模な葬儀になった。花束は私の会社と父親の元いた会社からしかお願いをされていなかった
喪服を持ってなかったため買いに行った。初めて着る喪服が父親の葬儀だとは思わなかった。
通夜になり花束もあれだけじゃ人もこないと思っていたら40人はゆうにこえた。なかには作業着や制服のまま焼香してる人もいた。泣いている人もいた。
次の日の葬式では親戚が多く来た。出発の時の花を入れるときに何をいれますかと言われたので煙草とキャンピングカーの雑誌をいれた。最後になるので頭を撫でてといわれたが、それでも撫でることができなかった。
棺が火葬口にはいっていっても骨になっても実感がわかなかった。還暦すぐだったので骨壺は骨でいっぱいになった、骨壺には眼鏡を入れた。
墓に入ってもまだ泣けなかった。
本籍地を見たら養子だった。そんな事もしらなかった
最近涙が止まらない。じょりじょりした感触が好きでよく触っていた髪の毛も触りもしないまま骨になった。私が実家にいればまだ、生きてたのだろうか。一緒にアホみたいに車の話ができていたのだろうか。何年も会わないままそのまま、会えなくなった。もっと話していれば葬儀中に泣けたのだろうか。なぜいまになって涙が止まらないのか。後悔がいまになってくるのか。