頑張っても空回りばかりするからなのか
周りから結局頑張ってないように見られるのがつらい。
結果にならなきゃ頑張ったことにはならないんだって。
努力して結果出す人<努力をしないで結果を出せる人なんだって。
子どもの頃からそう言われてきた。
そんなの天才しかいないじゃない。
そんな「天才」が実際ごろごろ転がっているわけ?
天才しか認められないってどういうことよ
そりゃあ努力もしないで結果出たら苦労はないね。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
一通目の方
ありがとうございます。
確かに、と思います。
ただ、私は全然苦労せず身に付いたことが全くないのです。
水泳、鉄棒、勉強、音楽。
全部全部人並み以上にやって身に着けてきました。
だから私には周りが天才ばかりに見えてしょうがないのです
ななしさん
人間のスペックは不公平なのです。
子供の頃を思い出せば、あなたもあんまり努力しないで出来たことが何かあるんじゃないでしょうか。
逆上がりを大した練習もなく出来るようになったとか。
独学で平泳ぎの足の形を身につけたとか。
漢字や地理を覚えるのが早かったとか。
リコーダーの息の入れる力加減、合唱の音程の取り方、給食当番の時の均等なよそい方、すぐに友達になれる声のかけ方…向き
不向きがいろいろあったと思います。
そういう意味では、天才がゴロゴロ転がっているのではなく、全ての人が何かしらの天才なのです。
そして自分は何の天才なのかを早く把握し、それを活かせる道を選べる人が「デキる人」と呼ばれるのだと思います。
「努力をして結果を出す人<努力しないで結果を出す人」という方程式はその通りだと思います。なぜなら、努力する時間が短いなら、その分どんどん他のことを身につけていけるからです。
鉄棒なんかまさにそうでしょう?1人が逆上がりに苦労している内に、もう1人は逆上がり、前回り、足掛け回りと新しいことに挑戦して先に進みます。同じ時間で出す結果が違うわけです。
あなたが社長なら「1時間でAが出来る人」と「1時間でAもBもCも出来る人」とどっちがありがたいでしょう。同じ時給で雇うなら後者ですよね。
だからAのみ出来る人は、Aのみへの評価でとりあえず満足すべきだと思います。もっとたくさんのことが出来て重宝されている人と同じ評価や称賛、期待を要求するのは、間違っていると私は思います。
もちろん、先輩や上司の側も出来たことについてはきちんと評価すべきです。それくらい出来たからって何だ、となるのはおかしいですね。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項