頑張っても結果にならなきゃ意味がないからといって、その過程を全否定するのは違うと思う。
頑張らないで結果にできるのは天才。
でも天才じゃない人は頑張って、時には失敗もしながらより良い結果に近づいてくしかない。
だからといって失敗は素晴らしいものというわけじゃないけど、
結果に拘って何かが見えなくなるのも違うと思う
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
あの私が言いたいのを理解されてない人がいるようなので
外野がっていう話です
本人ならどう言おうがそりゃ自由でしょう
ななしさん
過程を否定するのは本人だよ。
東大に行きたくて頑張った。
たくさん勉強して偏差値は上がった。模試での全国順位も上がった。
でも、東大には不合格だった。
そこで本人が「東大までは届かなかったけど、確実に学力は上がったから、良しとしよう」と思えば、その過程には意味がある。
でも本人が「東大に行けなかったなんて、私の努力は努力じゃなかった。合格出来ない努力に意味なんかない」と全否定すれば、周りがどれだけ肯定しようがその過程に意味はなくなる。
だから、「全否定するのは違う」というのは、私は違うと思う。
頑張った本人が自分を肯定するか否定するかであり、そもそも他人が口出すことじゃないから。
ななしさん
頑張らないと結果にできないのは天才も同じこと。
それに、何かしらやったら必ず結果は出る。
行動=結果なのだから。
その結果が求められるラインに達しているかいないかだけ。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項