死にたい人へ。
または、とても辛く苦しい方へ。
届きますように。
今から書くことは、僕の想い。
これで変わって欲しいとは望んでいない。
その人の自由だからだ。
ただ、少しでも何か感じて、人生がよくなればいいと思っている。
何処か誰か遠い人が勝手に言うこと。
死にたい、って、辛くて、苦しくて、それが終わって欲しいからそう考えてしまうのかな。
どうしようもなく閉じ込められた感覚になって、何にも選択肢が浮かばなくて、考えなくちゃって思うのに、体が動かなくて。やることはいっぱいあるのにそれどころではなくて。
自分をまた責めて。
また息が出来なくて。
壊れそうで、それでも壊れないから傷付けて。そして周りも傷付けて。
どこからきているのかわからない虚無感と、過去の失敗を何度も繰り返し思い続け。
またダメだった、と後悔と自責の念が積もっていく。
誰かに抉られた穴がいつまでも塞がらない。
感情が感じられない、もっと鮮烈だった筈なのに。
こういうの、全部捨てたらいい。
捨てるのは難しいかもしれない。
なら、一旦その荷を置いて、そこから離れて見てみて。
その荷と、あなたは別物なんだ。
一体化してしまっているようならば、そのものを変えていけばいい。
疲れた、死にたい、になるのは仕方がない。
脳の回路が長年の傾向に慣れて、そこの結びつきが強くなってしまっている。
全部変えられる。その思考はあなたの思うままだから。
ああまた頭がボーッとする、また切ってしまった、今日も出来なかった、やっぱり毎日が辛い、いつまで続くのだろう、終わらせよう。
ここから抜け出したらいい。
行動すること。
生活習慣や環境、人間関係を変える。
考え方を変える、選択する。
自然と死へと考え方が向いている、そういうものだと思っているかもしれない。
僕はそうじゃないと思う。
考えたいから考えている。脳は意外と単純だ。慣れたものを考える方が楽だからだ。
脳は怠ける。
それをどうにかするのが意思、意識、心。気持ち。
あなたはどうしたい?
こうなりたい、こうなりたかった、こうしたい、こうしたかった、あれがいい。
好きなものや望むものは何ですか。
無ければ今は見え辛くなっているのかもしれない。
それを叶えればいいんじゃないかなって、思うんだ。
そこを目指して動くっていう行動が大切なんだ。
わからないまま動いてみるのもいい刺激だし、新しいことをやるのも新鮮に感じる。
一度試して欲しい。
昨日の自分と今日の自分が違うように、瞬間ごとに本当は何もかも変わっている。
食べ物で身体の健康や思考が左右されるように、常に変わり続けている。
そんなことないって感じるかもしれないが、トイレに行ったりお腹が空いたり、太陽や地球が稼働しているように、どこも止まっていない。
永遠は無い。(例外もあるけど)
だから、辛い毎日がずっと続くかはわからないし、いつまでも同じことが続いていると感じていても、それは心が変わっていない(変わりたくない)だけかもしれない。
朝目覚めれば、昨日とは違う。
同じだと思うのは、同じものを選択して目覚める時にインプットしているから表面的には何も変わっていないように感じている。
これが自分だっていうのがあるなら、そこを変えて新しくしていくのも自分で、選択権は常に自由だ。
少しずつ、少しずつ変化する。
新鮮なこと。
新しいこと、楽しいこと。
嫌なものから少し距離を置く。
または向き合う、適度な距離を探す。
目標、夢、理想、それへ近づくにはどうすればいいのか。
死を考える時間は無駄だとは言わない。僕も常に考えていた。今でも考えている。
頻度は意図的に減らした。考えつつ、別のことが出来るようになった。
死に囚われることもダメだとは言わない。だが、自分に囚われるのは酷く息苦しい。
自分で自分を責めないで。
囚われないで。
ふわりと軽々道を行こう。
なんて風に、思うのです。
長くなってしまった。
上手く表現できなくて申し訳ない。
読んでくれてありがとう。
僕は生きる。
あなたも生きて。
2018,HAPPY NEW YEAR
3通目の者です。
お返事、ありがとうございます。
最初この小瓶を読んだ時、小瓶主さんは死にたいループから抜け出すことが出来た人なんだなと感じ、羨ましく思いました。
ですがそのときの私の考え方では小瓶主さんの伝えたいことが理解しきれず、それゆえ感情をぶつけるような形で質問してしまいすみません。
こんな私に、伝わるように言葉を紡いでくださったこと、すごく嬉しかったです。
お返事を読んで、私は「美人じゃなきゃ親に愛されない」とひたすら思っていることに気付かされました。
実際に美人な妹と比較され、親に貶された経験から結びついてしまっているようです。
「捨てると、空いたところに新しいものが詰め込まれる」とてもしっくりきました。
これは叶えたい望みじゃなくて捨てるべき執着だったんですね。
今はとても重くて苦しいです。でもこれが手に入らないと生きていけないと思っていました。
だから「荷が重いなら捨てて別のことに時間を使った方がいい、そのために生きてるんじゃない」この言葉がすごく沁みました。
親の愛のために生きてるんじゃない、そんなものはなくても生きていて大丈夫。そんな風に言われている気がして。
ありがとうございます。
何度も読み返して、新しい風、しっかりと心に取り入れたいと思います。