まともに学校に電話もかけられない。(あるいは、ただ、かけていないだけか)
休学中は、緊張しながらでも、吐きそうになりながらでも、なんとか学校に電話をかけられていた。
明日から復学する予定で、今日は学校に尋ねたいことがあったから、登校して聞きに行くつもりだった。
昨日までは、抑うつの症状がほぼ安定していて、自由に外出できていたけど、今日になって様子がおかしい。
ひどい動悸がして、過呼吸ぎみになり、次第にドアを開けるのも怖くなって、今、布団の中にいる。
せめて、電話で聞いてみようと、携帯電話を手にしてみるものの、やっぱり恐怖に屈してしまう。
「恐怖 克服」なんてキーワードを検索しても、気休めにもならないし、不安は治まらない。
「行きたくない」「変わりたくない」「関わりたくない」「安心したい」「こわい」という思いが溢れてくる。
昨日までなら、そういった思いがあっても、感情に惑わされず、やるべきことをやれていた。
それに、少なからず、学校に「行こう」という気持ちもあった。復学は、他でもない自分のために決めたこと、であるはずだし。
とりあえずは、「ダメでもいい」と言い聞かせ、自分を落ち着かせる。パニックも静まってほしい。むしろ、「パニックを起こして当たり前だ」と考えよう。「今日がダメでも、明日行ったときにも聞く機会はある」と自分に余裕を持たせよう。
でも、行けなかったら?
今日は行けなくて、明日は行けるの?
聞きそびれたら?
みんな忙しい。
私に構っている時間などないのでは?
もう一人の自分は、痛いところをつついてくる。
「もう無理、できない」
そう言い切ってしまえば、どんなに楽だろうかと思う。早々に諦めてしまいたい願望に駆られる。
敵がいるわけじゃないのに、敵だと誤認してしまうのだろうか。学校も学校の関係者も復学も現実も、私にとっては敵ではないはずだ。
今、すごく、苦しい。
順応したくない自分がいる。何でだろう?
順応した方が、メリットが多いのに。
心細い。
こんなので、社会に出たとき、やっていけるのか?
なんで、通話ボタンを押さないのか。
なんで、ドアを開けないのか。
前に進めば、前に進むのに。
私は自分が思っていたより、学校に戻ることにプレッシャーを感じているみたいだ。こんなとき、自分をどう扱えばいいのだろう。
どんなに自己啓発書を読んだところで、結論はいつも似ていて、結局、「自分次第」で 「やるしかない」ということ。
わかる。確かにそうだ。何かやりたいことがあるなら、結局やるしかない。
やれば、いい。やれば、終わる。明白だ。
だったら、なんで、やらないんだ。
まだ授業が始まったわけでもないのに、長々と綴ってしまった。不安で、しんどい。