宛名、最近よく荒れ気味ですもんね。
偽名やあだ名じゃなくて実名を出したり、周りの小瓶主たちの心境を読めず、結果煽ってしまうような小瓶を流してしまったりと。
きっと、管理人さんも運営していく上で管理が大変なんだと思います。
悩む人たちの捌け口やら、荒れのないのほほんとした日常の小瓶だけが、こっそり、ひっそり、あればいいのですが、悩む人が多いのか宛名の知名度があがってきてるのか、少しずつズレというか、荒くれものか混じってきてます。
世界からだけじゃなく、宛名からもハジかれる悲しい小瓶はどこに流せばいいのですかね。
困ったものですよね。知名度があがることは宛名民としては嬉しいですが、小瓶主としては寂しい気もします。難しい問題です。
人生というのは修行だという。決められた期間修行して、終わったら帰るべきところに帰る。あなたが何を背負っているのかはわからないが、人は人生でいつか苦労をする。苦労は若いうちにしておいた方がいい。年をとった後の苦労は身にこたえる。あなたも、いつまでも若くはない。いつか中年になり年をとり、いつか身体が動かなくなり、そしていつか、本当に死んでこの世を去るときが来る。時が経つのははやい。振り返ればあっという間である。若いうちにしておきたいことをして、後悔しないように。この世を去るときになってああすれば良かったこうすれば良かったなどと思わないように。このようなことは、自分も年をとってはじめて実感することだ。人間は、永遠にこの世に生きていることはできない。死にたいと思っているとしても、年をとって自分もいつか死ぬと実感すれば、限りある人生の時間を大切に生きようと思えるようになる。歴史は続く。世界も続く。でも、その中で生きている自分の人生の時間には限りがある。「生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。」とは、マルクス・アウレリウスの『自省録』のことばである。人間というのは愚かな
ものだ。調子がいいときにはつけあがり、よくないときには落胆する。自分の力ではないかも知れないのに、自分の力だと錯覚する。そんなことを、色々失敗しながら人生で学んでいく。知るべきことを知り、自分を整えることが大事だと思う。
余り考えずに返事を書いて見た。この辺で書くのを止める。