 
  
子どもの幸せを一番に考えてくれる尊敬できる親
いつも仲良しの弟
かわいがってくれる祖父母や叔父叔母
つらいとき助け合える親友たち
毎日一緒にいるだけで楽しい友人たち
長い付き合いの彼氏
わたしは生まれる前からずっとたくさんの人に愛されて19年生きてきた
いつもいつもみんなからたくさんの愛をもらっているし
愛されていることを常に実感している
それなのになぜわたしは
いつも愛に飢えているのだろう?
もう十分なくらい愛されているのに
もっと愛されたいと思うのだろう?
なぜこんなに寂しいんだろう?
 
                            
                  お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
                  小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
                
 
                      
                                              ななしさん
あくまでも、私の場合です。
自分で自分を認めてないから、
本当の自分を無視してるから、
苦しかった。
全部が嘘ではないけど、自分なりにとりつくろった自分。
それを愛されても、認められても、
ちっともうれしくなくて、むなしかった。
本当の自分じゃないから。
みんなが良しとするものは良い、そうでないものはダメ、見せてはいけない、
と思いこんでいた。
それはおかしいって、どこかで気づいてたのに。
頭で認めようとしなかったから、
いいかげん認めなさい!と、
体が強制終了して教えてくれた。
世間からドロップアウトした気分だった。
きれいなふりする必要も力もなくなったから、そのままの自分でいた。
前は必死で隠してた、だめな所も隠さなかった。
意外なことに、以前の自分より愛された。
ちゃんと愛を受けとれるようになった。
自分を好きになれた。
自分で自分を認めはじめると、周りから愛されてようがなかろうが、どうでもよくなってくる。
死ぬまで一緒の、一番の味方は自分自身だとわかったから。
でも19歳なら、割とみんな、そういうふうに寂しくなること、多々あるんじゃないかな~と思いました。
外に出さなかったり自覚してないだけで。
あせらなくていいと思います
その寂しさも含めて、今をたのしんで(^O^)☆
 
                      
                                              ななしさん
愛がなんなのかを、知らないから。
愛がなんなのかを、知りかけているから。
もっと愛に目を向けて、自分の内側で相談してみたらいい。
自分の内側にある、愛をくれた人たちと、愛を貰った自分とで。
探して、考えてみる。
自分がこれだ、と思ったものが。
探し、考え、求めた、「そのこと」こそが、少しずつ飢えを、寂しさを、満たしてくれるかもしれない。
俺が思うに、主さんには、自分という愛、って奴が足りないのかもな。
愛?・・・俺は知らないし、いらないよ(笑)
知らないからこそ、形を作らないからこそ、「愛」というものを深められる気がしてな。
妙な上から目線ですまない。
ちょっとやってみたかったんだ。ゆるしてちょ。
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