私はもう何もいらない。
もう何も求めない。
家族からの愛も友情も
人間からの愛も優しさも要らない。
もう自分を偽らない
ヘラヘラしていいやつぶってバカ演じてちやほやされて
告白だって1ヶ月に二回くらいのペースでされたけど
みんな見てるのは私の表面。
まあ見せてるのが表面しかないから当たり前だけど。笑
もう何かに期待して求めて
自分ばかりが誰かの相談のるのは嫌なんだ。
ここまで絶望させられて
期待を裏切られてそれでもまだ
何かを求めるんだったら
その時私は私を殺します。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
ななしさん
お返事失礼致します。
たまたま「友情 愛 要らない」と検索したら辿り着きました。
私も友情や愛はもう要らないと思っています。
他者からの言葉も不要に感じます。
ほっといて欲しいと感じます。
ただもういい年齢になって 、家族だけは、限られた昔馴染みの仲間にだけは信頼を置けています。
長い時間が掛かりましたが有りの侭の自分で調和が取れる関係が築けるようになりました。
どうか自分を殺さないで。
きっと貴方様が心安らげる誰かがいるはずです。
無責任に感じたらすみません。
私はせめてそう信じられたらと思うのです。
どうか貴方様に素敵な出来事がありますように。
通りすがりでした。
では、失礼致します。
ななしさん
自分を偽らないのは大事ですよね。
犯罪的なことをしなければ幾らでもはっちゃけちゃってください。
全ての責任を自己において有るがままに嫌うのも嫌われるのも好くのも好かれるのも貴方の意志次第。
それらの結果から目を逸らさず己が己として生きられますよう応援します。
しかし、何も求めないのと何も偽らないのは違います。
そこだけは間違えないで下さい。
例えば、貴方が最初から何にも価値を認めておらずそんなものは要らないと常々思っており、我慢して通常の人を演じてこられたのでしたら偽りを捨てた場合、何も求めない人になるのは当然の帰結です。
しかし、そうでないのでしたら偽らないといいつつ何も求めないというのは何かを欲する心を無視し捨てている行為で、その分己を偽っているといえます。
たしかに何も期待をかけないというのは一種の防衛手段として有効では在りますが、それは仮面を被りその仮面の防御力を期待しているに過ぎません。
つまり、新しい仮面を作り、その仮面に変えるのと変らないということです。
となると、最終的にまた歪が出来て押さえ込んだものが溢れ出してくる可能性が在ります。
偽らないのでしたら徹底して偽らないことです。
生のままの自分であるというのは傷つきやすく折れやすくも有りますがそう在ろうとしたのならそう在るべきだと私は考えます。
なので、偽りを捨てる際、御自身の本心に真剣に向き合って見詰め直し受入れて認めた上でそう在ってくれることを願います。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
▶ お返事の注意事項