「なんでこういう不安とか発作が急に現れ出したのかってことについてはあまり考えても意味がないと思うし、それが出始めたのも薬を飲み始めたからだとは思わない」
と先生に言われた。
それで、漢方と抗不安薬を飲むことにした。SSRIは選択肢に出てたけど先生は若者にはあまり出したくなさそうだったのと、夏休みは地元に帰るからとりあえず今はいいやと思って漢方にした(もう二回くらい飲んでるけど、一気に飲むとクソまずい! 二回とも失敗してえずいた)。
夜になってだんだん息苦しくなってきたのでリーゼという抗不安薬を飲んで1、2時間くらいの今、うすぼんやりした不安は感じるけど頭がおかしくなりそうなほどではない。
少なくとも今日は文字通り死にかける気持ちで眠りにつかなくてよさそうでよかった。
「考える意味なんてない」か。
そうなのかな。そうかも?
そもそもわたしはなぜそんなことを考えてるんだろうねって、それは、薬のせいなら薬をやめさえすれば元に戻れるって希望を抱けるからだ。
でもそんなのブラックボックスだ。
元の精神状態がストレスで悪化してるだけの可能性もあるし本当に薬で何か起きた可能性もあるし薬でよくなって何か別の問題が出てきた可能性もあるし、薬でどうにかなるんじゃないかって不安な気持ちが引き起こしただけの可能性もある。
それを知る術なんてたとえ医者にだってないよ、と、そう言いたいのだと思う。
だから考える意味なんてない、と、そう言いたいのだと思う。
そしてそれはその通りかもしれない。
考えてもしょうがないことを考えて勝手に不安になったり嫌な気持ちになったりして、人生を浪費している。
そんな自分をやめたくて、でもやめられなくて、そして本当はやめたくない自分もいたりして、もう訳が分からない。
やりたいことなんてずっと前に分からなくなってしまって、ただ周りの誰かのような充実した人間を模倣したくてひた走る毎日。
それは楽しくもどこか虚しい。
私は空っぽだ。
私は何がしたかったんだろう。
本当は建築が学びたかったな、高校生のとき勉強に手がつかなくなって文転してからそんなことすら無理になっちゃったけど。
地元の図書館で見る料理本とか、植物の本が好きだった。
そういう素敵なものを思いながらどれだけ遅くたって丁寧に料理したり、庭の手入れをするのが好きだったな。
だけどそんなもの、今さらおんなじふうに楽しむなんてできないな。
精神分析の本を購読する授業でそんなこと言ってたな、出席足りなくて単位は落とすと思うけど。
小さい子供が夢中になって繰り返し同じ遊びをすることと、そのときに感じる感覚を大人が再現しようとすることは全くの別物で、そしてその再現は必ず失敗に終わるのだと。
本当はもうやる気なんて何もないよ。
頑張る気なんて出ないよ。
それでも前に進まなくちゃいけないことが、とてもつらく感じるよ。
創作意欲ももうほとんど枯れ果ててしまった。
私に何が残ってるっていうんだろう。
何しても虚しい。
ただ、あの庭にまた触れられたらいいなとは思う。きっともう叶わないけど。
何をして生きればいいんだろう。
新しい「わたしだけのもの」の探し方が、分からない。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです