人間、頭で想像して相手の苦しみを推し量ることは出来る。だが、実際に自分が苦しんで知ったは苦しみとでは似て非なるものだと思う。
でも、想像だけでも推し量れるものがあるから、道徳の授業に有用性が全く無かったんじゃないの?とまでは思わないけど。
でも、本当にその経験が人の血肉になるのは自分が実際に経験しての方だと思う。
俺の中では、その証拠がこのようなところに出てると思っている。
俺だって好きでこんな人生にしかなれなかった訳ではないわ。
いつも表向きは普通にしてるけど、妹や母に対しても「お〇らも無〇〇だよな」と腹の中ではいつも思うわ。
自分ちは世間の大多数と同じで、何にもしなくても本物の愛に恵まれて、そこから先も大多数と同じで、人並みの当たり前の幸せに次から次へと恵まれ続ける人生を送ってこれて。
それは誰にとっても普通で当たり前のなんでもないことでしかない気でいるのだろうなと思ってるわ。こんなの平凡な日常でしかないと。自分達がどれほど沢山の、そして幸甚な幸せに恵まれてるのかにも気づかないでいるのだろうとも思ってるわ。
妹は度々巡ってくる自分ちの幸せ報告を、母は妹から聞いた幸せ報告を話してくる。
それを聞かされる度に俺の気分は良くないことに気づけないでいるから、他愛もない話であるかのようにさらりと俺に話してこれるのでしょうね。俺も聞けば喜んでくれるはずだとも思ってそうな感じで。
でも、その度に「そういうところが無〇〇なんだよ」と、こっちはさせられるわ。
貴方方はそれが日常の風景なのでしょうけど、こっちは違うわよ。俺には誰もいないのに。貴方方のようにお互いに好きになれた相手の中に、ずっと一緒にいてくれる程まで自分のことを大切にしてくれて、そこまで愛してくれた人がいたことさえないのに。
例の彼にはわがままを言ってとかで自分からとことん困らせたとか、したことはないのに。運命的なご縁よりも、向こうからしたら何から何まで完璧な相手でなければ無理だったのでしょうね。
俺だって本物の愛という1つの幸せだけでいいから、人並みの当たり前の幸せに恵まれたかったわ。
本当は〇〇(俺)も、自分達のような当たり前の人並みの幸せに恵まれたかったのではないか?そのように気が利く気持ちがあったら、俺に対して自分ち家族や孫達の幸せ報告を他愛もない話の1つでしかないかのように、さらりと自然に話してこれる訳がないよな?と、俺はそう思ってるわ。
俺は自分がこういう思いを身をもってしてきたから、自分も妹や母達と同じように人並みの当たり前の幸せに、もしもこの先に恵まれることがあったとしても、俺はお〇達のような無〇〇なことは誰にも出来ないわ。
かつての自分と同じような境遇の人がいたら、この人も本当は裏では人知れずにかつての自分と同じような思いで苦しみ、涙に暮れながら生きてるのかもしれないと思えるから。それを分かってるから。そんな相手に、お〇らのように無〇〇に自分や自分達の幸せ報告なんて出来ないわ。
こういう差異があるなと思ってる。
だから、本当の優しさを血肉として持ってる人だったら相手の痛みに対して鈍感なこともないだろうと思ってる。そういう人達なら、虐待されている動物達へ真の思いやりの気持ちも抱いてくれるのではないか?とも思っている。
そういう人達が、動物達に対して残酷に振る舞うことが許されているこの世界を終わらせる原動力に、きっとなってくれるだろうとも思っている。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです