結婚して15年。
夫はまだまだもてたいらしい。
浮気も過去にあったし、でも許して、また信じようと頑張った。
なんか、いろんなこと、疲れたな。
かなり前から女としては見てもらってないし、家政婦みたい。
我慢ばっかりだな。
なんか疲れた。
消えていなくなってしまいたい。
でも今はまだだめ。
守りたいものがあるから。
無事に見送ったら、私も消えようと思ってる。
それまでは踏ん張らないと。
つらいつらい
毎日しんどいよう。
離婚しても帰るとこないし、もう疲れた。
あたしは生きてる意味ない
生きてるだけでみんなに迷惑かけちゃうし。
いらないなーあたし。
つらい
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ななしさん
憶測ですが、見送るというのはお子さんのことでしょうか
でしたら見送ってもそれで終わりではありませんよ
お子さんから消えてはいけませんよ
誤解でしたらごめんなさい
ななしさん
良い相手見つけますか?
ななしさん
そんなダンナ早くポイしてもっといいダンナ見つけたらいいじゃないですか。
ななしさん
あなたは、あなた自身を必要としている。こう書いても何の事だか分からないかもしれないが、生きる意味を見失っている自分がいると同時に、まだ生きていたいと言う自分がいると思う。少なくとも私は、そうだったしまた今でもそうである。生きる意味。難しいように思えるが、一つだけ、私にははっきりと分かったことがある。それは生きていることそれ自体である。そんなに難しいことではない。人間には知性があって、それで色々な物事を評価・判断するが、知性がないと思われる昆虫、今の時期で言えば様々な声を発して鳴いている昆虫(鈴虫とか)は、ただ鳴いている。夏では、蝉が鳴いていた。彼らは、ただ鳴いていたと思う。土の中などで幼虫、さなぎなどの時期を過ごして成虫し、蝶とか蝉とかになって、鳴き、暫く過ごして、時期が来たら短い一生を終える。或は、雑草を見て、蟻を見て、彼らも、いずれは死ぬのだと、そういうことを考えると、憂鬱になる。しかし、彼らはただ生きているのだと、先日自宅の小さい庭を見ていて思った。この世に来て、命を与えられて、ただ生きているのだ、そう思った。それは人間でも、同じだと思う。人間だから知性があって、何のためにとかそういう理由・目的などを求めているが、そのような理由や目的を見失ったとき、人間は、この世で命を与えられた者としての基本を忘れて、自分もそうだが、死にたいとか思ってしまう。苦しい、辛い、そんなことを思い、その苦しみに耐えられず、命を投げ捨ててしまう。自分も、苦しいとか思う。苦しいとか一言では表現できないくらい、苦しかったし、今も苦しい。死を目の前にして、自分は、やはり死にたくないと思う。生きていたいと思う。ブッダではない自分。それでも、自分は自分として、生きていくしかない。毎日、色々なことを考える。これでいいのか、ああすればよかったのかこうすればよかったのか、そんなことが、脳裏をよぎると思う。何故自分は苦しいのか、何故自分は生きているのか、そんなことを、毎日考えるかもしれない。それでも、生きていたいと思う自分のために、毎日毎日、後悔しないように、一日一日過ぎればその日は二度と戻ってはこないということを肝に銘じて、生きているのがいいと思う。人生を生きていればわかると思うが、人間というものは、大事なものを失ったときにその大事さがはじめて分かる、ということが多い。あなたのご主人にとっても、それは同じだと思う。あなたがいることを前提にして、生きている。自分の心の平安が、あなた(或はあなたの存在)によって守られているということに、気づかずに生きている。そしてその前提を失ったときにはじめて、あなたの存在の大きさ或は大事さに気づくのである。あなたは、家を守っているのだと思う。ただ、共同で家を守る気持ちが、余りなくなっているのかもしれない。
私は結婚というものを知らないので、余り言うことはできない。
人間というのは難しいものだと思う。私は精神病に罹っているので、なおさらそうである。
ありふれた幸せを望み、それを維持するのがいかに大変かということも、垣間見る思いがする。
神や仏に祈るとして、他に祈る対象がなければ、千手観音に祈ることをすすめる。
余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。
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