「生きる価値がない」
「生まれてくるべきじゃなかった」
「社会にとっては私ってごみくず」
来る日も来る日も、こんなことを考えていた時期がありました。
私には何もない。からっぽ。
でも自分を責めている間だけは、生きていることが許される気がして。
自分を責めることをやめたとたん、本当に生きる価値が無くなる気がして。
自分を責めることで「生きていてもいい」って思えたから、自分を責めることをやめられなかったんだな、
もしかしたら、私は自分を責め続けてまで、生きていてもいい理由がほしかったのかもしれないな、なんて。
そんな風にも思います。
よかったら、
きみの失敗も聞かせてほしいです。
感謝できなかったのかな。
ちゃんと人の気持ちを考えられなかったのかな。
大きな失敗をして、誰かに怒られたのかな。
私もきみに負けないくらい、
ううん、たぶんそれよりも
ずっとずっとたくさんの失敗を積み重ねてきました。
それでも、今日を生きています。
私は出来が悪いから、たぶんまた失敗をするけど、それでも生きていきます。
失敗だらけでも
価値がなくても
才能がなくても
社会不適合でも
出来が悪くても
こんなひとでも生きていて。
それなりになんとかやっている。
そんな風に誰かの希望になれたら私はもう、「ごみくず」ではない気がするのです。
そんな、
出来が悪いけど
誰かの希望になれる
「ちょっといいごみくず」に私はなりにいきたいです。
どうかほんの少しでも、深く息が吸えますように。
「今日だけは、責めるのサボってもいっか」って思える日が、少しずつ増えていきますように。
ー
1回だけ、「しにたい」って言ったことがあって。
ふふって笑われたの。
私も笑っちゃったよ。
外に出してみたら、
この言葉があまりにも軽くて。
この心の重たくて重たいのを、
私はどう表現していいかわからなかったし、
でも「しにたい」って言葉は
なんか違うような気もした。
ー
私はね、
ウソでもいいんだよ。
ネ友が病気だっていうのはウソだから、
騙されたままじゃダメだよ、なんで信じてるの、なんでわかんないの……って。
そんな風に怒られたりもしたけど。
病気なのがウソでも、
そんなウソをつきたいくらい、
心がしんどいんだよね。
それならウソでもいいよって。
ウソってバレない間は、何度でも慰めるよって。
誰かを困らせないウソなら、
いいよ。
……って。
思ってたし、
今も思ってる。
ー
人生は修行、っていう言葉がすごく嫌いだったのだけど、
最近好きになってきました。
たぶん、筋肉痛が好きっていうのと
同じような感覚で。
心を鍛えることが楽しくなってきました。
ー
いつもラベルに悩みます。
ラベルなんて
そんなに関係ないのかもだけど。
こんなラベルが貼られた小瓶が
本当に浜辺に落ちていたら、
あまりにも重すぎるな、なんて。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください