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私が尊敬する、変わってきた人たちは、みんなこの「変わりたくて変わりたくて変われない時期」を乗り越えてきている。

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五彩緋夏ちゃんの note を読んだ。

YouTubeで見ていても優しさと聡明さが そこかしこ に滲んでいて、
すてきな人だと思っていたけど、

note ではその聡明さと優しさが
より際立ってキラキラしていた。


私と似ている、なんて思ったこともあるけれど、

知れば知るほど、ひなちゃんは私よりも数倍優れた人だなと思う。


note で私と同じだと思ったのは、
「ゴミクズ」という表現を使っていたところだけかもしれない。



心理カウンセラー きい さんのYouTube も以前見ていた時期があった。

きい さんは「欠陥品」という表現を使っていた。
(記憶違いかもしれない)


「欠陥品」というワードを聞いて、
この表現の発想は自分には無かったなと
思ったのと同時に、

こんなすてきな人が自分を「欠陥品」と形容していたことに驚いた。


ちょうどこの頃、自分のことを「ごみくず」と形容していた時期を頻繁に思い出していたこととも重なって、
(たぶんメンタルの状態があの頃に近かった)

私もこんな風に、誰かに希望を与えられるかもしれないなんて思って、宛メに戻ってきたのだ。


私にはまだ早かった。
あと3年ぐらいして、メンタルも安定した状態で戻っていれば、もう少しマシな形で文章を紡げていたと思う。


あとは、

「ずっともがいてもがいて、
長いトンネルの先に見えた答えのようなものを、」

このフレーズ。



私が尊敬する、変わってきた人たちは、
みんなこの「変わりたくて変わりたくて変われない時期」を乗り越えてきている。


ひなちゃんももれなく
ここを通ってきたのだと知って、
何かがストンと腑に落ちた。




ひなちゃんは
「結論がない文章を好まない」
と言いつつ、

ひとつだけオチがない文章を書いていたけど、


私はオチがない日記みたいな文章も好き。

そしてオチなんて思いつかない。
…ので、このままここに置かせてもらおうと思う。


ただただ、
ひなちゃんの文章がすてきだった。

それを他の人にも伝えたかった。

それだけなのです。



私が自分を「ごみくず」と称していた
理由のひとつでもあるのだけど、

私には根本的な部分の優しさとか責任感とか、そういうものが欠けているのだ。


だから義務感によって自分を縛ろうとしたら、自己否定に陥って、「理想の私」からはさらに遠ざかってしまった。



でも五彩緋夏ちゃんは、
私が持っていない優しさとか責任感を、
根っこに持ちながら生き続けた。


その姿勢が憧れであり、
これからも惹かれ続ける理由なのだと思う。


なお、私の文章はその時期に読んでいる文章に必ず引きずられる。

LINE 等も同じである。

友達が絵文字を使いまくる子であれば、
私も無意識に絵文字を使いまくっている。



この文体は言うまでもなく、
あこがれのあの子のものである。



 ー


私やひなちゃんと同じように、変わりたくて変わりたくて変われない時期を過ごしている人や、
自分が嫌いすぎてどうしようもなくなっている人に
この文章が届けばいいなと思う。

私の文章には誰かを救うほどの力はないけれど、ひなちゃんという存在には誰かを救う力があると思っている。

私がそうだったから。



 ー



今の私には文章を書くことが必要なのだと思う。

文章を書くことで何かを整理していて、
何かを頭にインストールしていて、

傷を負った場所に何度も
薬を塗り込んでいるのだと思う。



いつかこの傷が完全に癒えて、

LINEもメールも平気で見れるようになって、

そしたらたぶん、
文章を書くことをやめられる。


ううん、たぶん、
文章を書く目的が変わる。



 ー



前に、文章を書いてると
子どもっぽくなるって言ったけど、

「気持ち」にフォーカスして書いてしまうと、「子どもの自分」に引きずられてしまうのだと思う。

大人っぽい文章を書いてるときは、
むしろ「大人な自分」の思考が強くなる気がする。



どんなひとにも陰の部分と陽の部分がある。
大人な部分と子どもな部分がある。


陽の自分、大人な自分を上手く引き出してあげられる人がすてきな人になっていくのかもしれないな、とふと思った。


今までの私は「陰の自分」と「子どもな自分」を切り捨てることで、陽の自分や大人な自分を引き出そうとしていたけれど、
このやり方では自分の一部を殺すことになって息苦しいし、
何より自分を見失いやすくなる。


子どもな自分も陰の自分も受け入れることで本当の「陽」とか「大人」に近づけるのだと今は思っている。




私がたまに使う「許す」は、
「子どもの自分」や「陰の自分」の存在を許すことを指します。

ダメな自分を排除しないことを指します。

自分のダメな部分を排除することでしか
自分を保ってこられなかった人は、「子どもの自分」の許し方を知らないから、

誰かに許されて始めて、「この子をころさなくてもいいんだ」って気づけるのです。



ただ、許すとか叱るとかは、
感情が絡むことなんだなと
最近とても思っています。

「許してもらえることに感謝しなければならない」みたいな考え方は、
許すことを感情で捉えているから生まれるんだと思う。



私はずっと、周りの人の許せないポイントに翻弄されながら生きてきただけで、

私自身は「許せない!!」…みたいな感情に陥ったことが、つい最近までほとんど無かったのです。

なので「許す」とか「許される」ことのありがたみに対しての実感が薄いのだと思う。


許せない感情って、
自分の尊厳を尊重する気持ちがなければ出てこないです。

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