自己肯定感が上がってから、
視座が高くなったな…って
思っていて。
前はずーっと、
下の方からみんなを見上げてるような
そんな感じだったんだけど。
今は私も、
みんなを「見る側」になって、
何か困ってることがあったら
助けてあげよう…って。
でも高校のときも、
この「見る側」の感覚って
ちゃんとあったんです。
むしろ大学に入ってから、
どんどん「見る側」の感覚が
薄れてしまった気がする……。
自分よりも自己肯定感が高い、
視座が高い子たちと関わっていたからかな、?
なんかね、
自分よりも視座が高いひとからの
批判の言葉って、
上の方から槍が降ってくるような
そんな感覚なんです。
自分が持ってない角度から
批判が飛んでくるから。
自己肯定感が低いと生きづらいのって
このせいでもあるのかな…って(´・ω・`)
「視座」については
まだこの感覚を得たばかりで
私もまだ見えてない部分とか
まとまってない部分があるので
発見が シュバババッ って
繋がったときに、
また話そうかなと思います。
今話せるのは
このくらいです。
ー
人間ぜんぶが嫌いって
たぶんあんまり
健康的じゃないんだと思うんだけど、
定期的に「みんな嫌い!!!!」って
叫びたくなります()
でも「みんな」を
一括りにしちゃダメだーーーー
と思って
がんばって
抑えています
ー
若いうちは、
長所を長所として使うのって
難しいのでしょうか、、
理論で自分を精神的に追いつめる段階と、
理論で自分を守り固める段階を経て、
「あれ? そんなガチガチに守らなきゃ
いけないほど攻撃されてないぞ?」
って気づいて
今に至ります、、←
ー
私が感じてることを言葉にすると、
立体的なものが
平面的になっちゃう感じがある…
……ううん、
受け取る人のフィルターを通るから
平面的になっちゃうのかな、
ー
自己肯定感高いひととか
心が安定してるひとが
私を褒めてくれるときって、
「欠けてる部分」と「できてるところ」の
両方が目に入るのに、
わざわざ「できてるところ」に目を向けて
それを言葉にしてくれている、
ということだと思うから、
ありがたいな…って。
前は、
自己肯定感が高い状態で生きたことがなかったから、
自己肯定感が高いひとの気持ちを
想像するのがめちゃくちゃ下手で、
ざっくり
「なんかめっちゃ褒めてくれる人たち」
みたいな感じだったのです、、
今は、
自己肯定感が高い状態って
「できてるところ」だけじゃなくて
「欠けてるところ」もちゃんと目に入ってくるんだな、
ということが
自分の経験を通して初めてわかるようになって。
両方が目に入るなかで、
「できてるところ」に着目して
褒めてくれているんだな、
っていうことに気づいたから、
前よりも心から
「ありがたいな」が湧いてくるのかなって。
ー
自己肯定感が低いひとの批判と、
自己肯定感が高いひとの批判は、
種類が違うのかなって
思っていて。
自己肯定感が低いひとの批判は、
「自分に厳しいがゆえに、
人にも厳しくなりすぎる」だったり、
「自分を守るため」だったり
すると思うのだけど、
(私も自己肯定感低い側なので、責めてないです)
自己肯定感が高いひとの批判は、
「自分と人の良いところを
当たり前に認められるから、
わざわざ褒めるポイントに
光を当てる必要がない」っていう
感覚があるのかな、って。
私はまだ
定期的に自分を褒めないと、
自分にも良いところがあることを
忘れてしまいます。
ー
前は、
『自己否定ってしちゃダメだよ』
って言われるのがしんどかったんです。
そのときの自分を
まるごと否定されてるみたいで。
でも今は私が
『自己否定って心に良くないな』
って思う側になりました。
それが嬉しくもあり、
でも同時に、
いまの私の言葉って
自己肯定感が低い子の気持ちに
寄り添えてない部分も多いだろうな、って
思います、
『しにたい』って思っていた
あの頃の気持ちまで
階段を降りていって
思い出しながら
言葉を綴ることもあるのだけど、
『しにたい』が遠いです。
いいこと……
うん、めっちゃいいこと……です、
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アユム
がむしゃらにガンバろうとすると
視野がせまくなっちゃうんだよね〜
自分が向いてる前しか見えないみたいな。
思いこみが、はげしくなってね。
「置いてかれてるな」って思ったときこそ
一歩引いて
客観的に自分を見ないといけないんだけど
「あせり」が
なかなか、そうさせてくれなくてね。
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